アッパース朝ペルシアを滅亡させたフビライの次兄“フラグ”は、当時イスラム勢力下にあったエルサレム侵攻を目論んでいたようだ。
この時、イスラム勢力によりかなり劣勢に立たされていたキリスト教勢力の十字軍は、モンゴル軍と手を組んでエルサレム奪還を考えていたという。
しかし、この時、末弟フビライと供に南宋攻略中だった長兄にして大ハン“モンケ”が病死してしまう。
フラグはやむなく半数以上の軍と供に後退したところ、残っていた守備隊に、なんとベイルートに駐留していた十字軍が襲い掛かって来たのである。
この時、モンゴル軍は十字軍をすぐに撃退したというが、フラグの不在がイスラム勢力最後の砦“マムルーク朝”に知られてしまう。
マムルーク朝は即座に軍を動かし、パレスチナでモンゴル軍と交戦し、ついにモンゴル軍を撤退させたという。
この戦いにより、滅亡寸前にまで追い込まれていたイスラム勢力は危機を脱したのである。
奇しくも、かつて、オゴタイ・ハンの死により全ヨーロッパが陥落の危機を脱したのと同様の状況になったと言えよう。
因みに、エルサレムを目前にしていたフラグ率いるモンゴル軍と、完全に敵対してしまった十字軍は、この後マムルーク朝によって次々と地中海東岸の拠点を落とされて行く事となる…。
歴史は常に動いている。
この時、イスラム勢力によりかなり劣勢に立たされていたキリスト教勢力の十字軍は、モンゴル軍と手を組んでエルサレム奪還を考えていたという。
しかし、この時、末弟フビライと供に南宋攻略中だった長兄にして大ハン“モンケ”が病死してしまう。
フラグはやむなく半数以上の軍と供に後退したところ、残っていた守備隊に、なんとベイルートに駐留していた十字軍が襲い掛かって来たのである。
この時、モンゴル軍は十字軍をすぐに撃退したというが、フラグの不在がイスラム勢力最後の砦“マムルーク朝”に知られてしまう。
マムルーク朝は即座に軍を動かし、パレスチナでモンゴル軍と交戦し、ついにモンゴル軍を撤退させたという。
この戦いにより、滅亡寸前にまで追い込まれていたイスラム勢力は危機を脱したのである。
奇しくも、かつて、オゴタイ・ハンの死により全ヨーロッパが陥落の危機を脱したのと同様の状況になったと言えよう。
因みに、エルサレムを目前にしていたフラグ率いるモンゴル軍と、完全に敵対してしまった十字軍は、この後マムルーク朝によって次々と地中海東岸の拠点を落とされて行く事となる…。
歴史は常に動いている。