フラグ率いるモンゴル軍がアッパース朝ペルシアを攻略した頃、その弟・フビライは南宋相手に苦戦していた。
これを知った長兄にして当時の大ハン・モンケは、自ら援軍を率いて南宋に向かったという。
これにより息を吹き返したフビライは、モンケと供に南進し重慶まで攻略した。
しかし、1259年、ここでモンケが病死してしまうのである。
それでもフビライは戦いを止めずに揚子江(長江)を越え、更に南宋攻略を続けたようだ。
この頃、日本では、元服したばかりの北条時宗と、その後ろ盾となった時頼や実時により、北条得宗家専制政治が盤石の物となりつつあった…。
歴史は常に動いている。
これを知った長兄にして当時の大ハン・モンケは、自ら援軍を率いて南宋に向かったという。
これにより息を吹き返したフビライは、モンケと供に南進し重慶まで攻略した。
しかし、1259年、ここでモンケが病死してしまうのである。
それでもフビライは戦いを止めずに揚子江(長江)を越え、更に南宋攻略を続けたようだ。
この頃、日本では、元服したばかりの北条時宗と、その後ろ盾となった時頼や実時により、北条得宗家専制政治が盤石の物となりつつあった…。
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