北条討伐計画を知った時政は、その日のうちに法事の名目で比企能員を名越の自宅に呼んだという。

この時、能員は家族から用心するように言われたとの事だが、時政に疑われないようにする為に丸腰で行ったらしい。

しかしながら、既に北条討伐計画を知っていた時政は比企能員を暗殺。

逃げ帰った能員の従者が一族に事の次第を知らせた結果、比企氏側は頼家の嫡男・一幡のいる小御所に集結したという。

これに対し、謀反であるとして比企氏討伐の命が北条政子によって下され、小御所に軍勢が大挙して押し寄せたのである。

数時間に及ぶ激闘があったものの、比企一族は全滅。
頼家の嫡男・一幡も、この戦いの中で命を落としたという。

以上が、吾妻鏡に書かれている比企氏滅亡の顛末なのだが…。


歴史は常に動いている。