一方、『旧唐書』東夷伝“日本国”条には、やはり日本の地理的記述があり、
『西界南界はみな大海に至り、
東界北界は大山ありて限りをなす。
山外は即ち毛人の国なり』
と、なっている。
この記述から、“日本国”の位置は西に瀬戸内海、南に太平洋を擁する近畿地方の事とする考えが大勢を占めているようだ。
この場合、“毛人”とは、“蝦夷”と呼ばれた人々の事であろう。
因みに、唐の前の王朝の正史『隋書』では、“日本”という国名は見当たらず、“倭国”しか出て来ないのだが、倭国にある珍しい山として阿蘇山が紹介されている。
この記述が、“倭国は九州”説の後押しとなっている。
やはり“日本”と“倭”は、別々に存在していたのであろうか?
歴史は常に動いている。
『西界南界はみな大海に至り、
東界北界は大山ありて限りをなす。
山外は即ち毛人の国なり』
と、なっている。
この記述から、“日本国”の位置は西に瀬戸内海、南に太平洋を擁する近畿地方の事とする考えが大勢を占めているようだ。
この場合、“毛人”とは、“蝦夷”と呼ばれた人々の事であろう。
因みに、唐の前の王朝の正史『隋書』では、“日本”という国名は見当たらず、“倭国”しか出て来ないのだが、倭国にある珍しい山として阿蘇山が紹介されている。
この記述が、“倭国は九州”説の後押しとなっている。
やはり“日本”と“倭”は、別々に存在していたのであろうか?
歴史は常に動いている。