天命によって天下を治める唯一の存在“天子”。

その“天子”の治める強国“隋”は倭国からの国書の内容を、無礼極まりない物と考え、一時は国交断絶になりかねない状況にまでなったようだ。

しかし、その後も遣隋使は送られ、国交断絶とはなっていない。

何故、あれ程激怒した煬帝はその後も倭国からの遣隋使を受け入れたのか?

一説には隋と高句麗との関係悪化がその理由と言われている。

高句麗は一時は隋の冊封下にあったものの、やがて半島内で強大化し、隋と対立関係になったという。

実際、煬帝は100万を超える軍勢をもって高句麗遠征をするも敗退する。

結果、難敵となってしまった高句麗と対峙する事になってしまった隋は、高句麗の向こう側にある倭国とは手を組んでおいた方が良いと判断したのではないかと言われている。


歴史は常に動いている。