607年の遣隋使は、隋書にも日本書紀にも書かれているので間違いないだろう。
そして、あの有名な国書の書き出し…
『日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや…』
これを見た隋の皇帝“煬帝”は
「野蛮人の書は二度と取り次ぐな!」
と、激怒したという。
かつては、煬帝が激怒した理由を
“日没する処の天子”
に求めたものである。
即ち、倭国王が“日出る処の天子”であるのに対し、隋の皇帝が“日没する処の天子”では、倭国よりも隋の方が格下になる…という理論であった。
しかし、実のところはそんな生易しいものでは無かったようだ。
近年では、中国こそが世界の中心であるという、中華思想が根本にあるとされる様になっているらしい。
つまり、“天子”という存在は、天命によって天下を治める存在であり、それは中国の皇帝ただ一人だという事である。
しかし、倭からの国書には、隋の皇帝のみならず、倭国王までもが“天子”とされていた事が、煬帝には我慢ならなかったと考えられる様になったようだ。
歴史は常に動いている。
そして、あの有名な国書の書き出し…
『日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや…』
これを見た隋の皇帝“煬帝”は
「野蛮人の書は二度と取り次ぐな!」
と、激怒したという。
かつては、煬帝が激怒した理由を
“日没する処の天子”
に求めたものである。
即ち、倭国王が“日出る処の天子”であるのに対し、隋の皇帝が“日没する処の天子”では、倭国よりも隋の方が格下になる…という理論であった。
しかし、実のところはそんな生易しいものでは無かったようだ。
近年では、中国こそが世界の中心であるという、中華思想が根本にあるとされる様になっているらしい。
つまり、“天子”という存在は、天命によって天下を治める存在であり、それは中国の皇帝ただ一人だという事である。
しかし、倭からの国書には、隋の皇帝のみならず、倭国王までもが“天子”とされていた事が、煬帝には我慢ならなかったと考えられる様になったようだ。
歴史は常に動いている。