502年、江南の南朝斉が僅か23年で滅ぶと、南朝梁が成立する。

その史書『梁書』には、
502年4月、
車騎将軍・高句麗王“高雲”を車騎大将軍に
鎮東大将軍・百済王“余大”を征東大将軍に
鎮東大将軍“倭武”を征東大将軍に
それぞれ進めたという記述がある。

このように、倭国はついぞ百済より格上の将軍号は得られなかったようだ。

そして高句麗の“車騎大将軍”というのは、冊封下の国に与えられる将軍号の中では、最高位の物である。

南朝にとっては、敵対する華北の北朝を牽制する為には、高句麗は手放す事のできない重要拠点であった事には変わり無かったようである。


歴史は常に動いている。