479年、中国大陸南部の南朝宋は滅亡し、“南朝斉”が成立する。
『南斉書』によると、前年に滅亡した南朝宋に遣使し、
『使持節・都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六国諸軍事・安東大将軍・倭国王』
の官職を得ていた“倭武”の将軍号を、“南朝斉”初代の“高帝”は
『鎮東大将軍』
に進めたという。
この時点で、倭国は百済と同等の将軍号を得た事になる。
因みにこの時、高句麗は更に上位の将軍号である、
『車騎将軍』
に除正されていたらしい。
歴史は常に動いている。
『南斉書』によると、前年に滅亡した南朝宋に遣使し、
『使持節・都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六国諸軍事・安東大将軍・倭国王』
の官職を得ていた“倭武”の将軍号を、“南朝斉”初代の“高帝”は
『鎮東大将軍』
に進めたという。
この時点で、倭国は百済と同等の将軍号を得た事になる。
因みにこの時、高句麗は更に上位の将軍号である、
『車騎将軍』
に除正されていたらしい。
歴史は常に動いている。