『宋書』夷蛮伝倭国条には、“倭珍”に続いて倭の五王の三人目、“倭済”に関する記述がある。

これによると、倭済は443年に南朝宋に遣使し、倭珍と同様に『安東将軍・倭国王』となっている。

しかし、八年後の451年、倭済は二度目の遣使をすると、
『使持節・都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六国諸軍事・安東大将軍』
となったらしい。

百済以外の半島南部の軍事的支配権を認められた上に、安東将軍から安東大将軍への昇進である。

当時の倭国が、南朝宋から百済以外の朝鮮半島南部の軍事的支配権を認められる程の強大な軍事力を有していたのかどうかは定かでは無いが、そうする事が南朝宋にとって都合が良かったという事であろう。


歴史は常に動いている。