『宋書』夷蛮伝倭国条によると、438年“倭珍”が
『使持節・都督倭百済新羅任那秦韓慕韓六国諸軍事・安東大将軍・倭国王』
という官職授与を求めたという。
すなわち、朝鮮半島南部の軍事支配権許可を求めたわけである。
しかしながら、南朝宋から授けられたのは
『安東将軍・倭国王』
のみだったらしい。
因みに、『安東将軍』とは、南朝宋の軍事的官職の将軍号の中では、最下級の物である。
歴史は常に動いている。
『使持節・都督倭百済新羅任那秦韓慕韓六国諸軍事・安東大将軍・倭国王』
という官職授与を求めたという。
すなわち、朝鮮半島南部の軍事支配権許可を求めたわけである。
しかしながら、南朝宋から授けられたのは
『安東将軍・倭国王』
のみだったらしい。
因みに、『安東将軍』とは、南朝宋の軍事的官職の将軍号の中では、最下級の物である。
歴史は常に動いている。