南朝宋の冊封下に入った倭国王の一人目“讃”だが、『宋書』夷蛮伝倭国条には、“倭讃”と書かれている。

かつては単純に“倭国の王である讃”と解釈され、疑う声も上がらなかったようであるが、最近では
“姓が倭、名が讃”
という説もあるらしい。

その後の四人もしかり。
宋書には、
“倭珍・倭済・倭興・倭武”
と書かれているのである。

ほとんどスポットの当たらない話題である、この名の解釈によっては、大きく通説が変わる可能性があるのではなかろうか…


歴史は常に動いている。