『晋書』に記述された266年の倭の女王の朝貢の後、パッタリと倭に関わる記録が無くなる。
次に倭に関わる記述が出て来るのは、
それから実に147年後の事。
413年に“倭の五王”からの朝貢が始まったという時代まで飛んでしまうのである。
晋は291年の八王の乱、307年の永嘉の乱等で混乱が始まり、その隙を突く様に313年、
高句麗が帯方郡と楽浪郡を攻め落としたという。
結果、邪馬台国は晋とのパイプを失い、晋への朝貢も止まってしまったと考えてしかるべきであろう…
歴史は常に動いている。
次に倭に関わる記述が出て来るのは、
それから実に147年後の事。
413年に“倭の五王”からの朝貢が始まったという時代まで飛んでしまうのである。
晋は291年の八王の乱、307年の永嘉の乱等で混乱が始まり、その隙を突く様に313年、
高句麗が帯方郡と楽浪郡を攻め落としたという。
結果、邪馬台国は晋とのパイプを失い、晋への朝貢も止まってしまったと考えてしかるべきであろう…
歴史は常に動いている。