卑弥呼亡き後、“晋書”には、266年、倭の女王が再び朝貢したという記述がある。

魏志の記述から、248年頃に卑弥呼が死去していた事が伺えるので、266年当時の女王はおそらく“台与(トヨ)”であったと思われる。

そしてこの時、台与が朝貢した『晋』の皇帝は、三国志の魏の英雄・曹操の右腕と呼ばれた“司馬懿仲達”の孫・司馬炎だと言われている。

ここにもまだ、三国志の英雄の影が見え隠れしている…


歴史は常に動いている。