日本三代実録に記述される貞観11年、陸奥国の大地震について…
ここに出て来る『城』とは、かつて蝦夷との戦いの際に軍事拠点として使われ、陸奥国府や陸奥鎮守府とされた事もある
『多賀城』
だと言われている。
海岸から多賀城までの距離は
約5Kmである。
この距離から推察するに、貞観大地震の規模は、昨年の大震災とよく比較される、
“明治三陸地震”
を確実に上回る物だったらしい…
歴史は常に動いている。
ここに出て来る『城』とは、かつて蝦夷との戦いの際に軍事拠点として使われ、陸奥国府や陸奥鎮守府とされた事もある
『多賀城』
だと言われている。
海岸から多賀城までの距離は
約5Kmである。
この距離から推察するに、貞観大地震の規模は、昨年の大震災とよく比較される、
“明治三陸地震”
を確実に上回る物だったらしい…
歴史は常に動いている。