国家の認める正史『六国史』の六番目

『日本三代実録』

に、書かれている…


<清和天皇の御代>
貞観11年5月26日(869年7月13日)
陸奥国で大地震。
流れる光で昼のようになり、人々は立っていられなかった。
倒壊家屋の下敷きになって死んだ者もいた。
驚いた牛馬は暴走し、城や多数の倉庫や櫓が崩れた。
雷鳴のような海鳴りと共に潮が湧き上がり、河口に入る波の壁が長く連なって押し寄せ、城下に達した。
内陸部まで果て知れぬ程浸水し、野原は大海原と化した。
舟で逃げたり、山へ逃げる事ができずに
1000人程が水死し、
後には田畑も財産もほとんど残らなかった。


津波が多発する三陸において、慶長年間(江戸時代)までの記録において唯一の津波の記述が、この貞観大地震に伴う津波である。

すなわち、この時の津波がとりわけ巨大で、被害甚大だったという事が想像される。


歴史は常に動いている。