平城天皇は即位前の皇太子の頃、ある娘を後宮に入れたのだが、その娘の“母親”と男女の関係になってしまったらしい。
程なく、それは桓武天皇の知る所となり、二人は引き離されたという。
しかし、平城天皇が即位するとすぐにその“母親”は尚侍(ないしのかみ)に就任する。
尚侍とは、宮中の女官を束ねる役職である。
更に言えば、天皇の御座所『内裏』は、通常は男子禁制とされており、臣下の者から天皇への奏上並びに天皇からの勅令を伝える権限を一手に担っていたのが尚侍であった為に、その権勢は無視出来ない物となっていたようだ。
日本後紀には、この“母親”が、退位した平城上皇の権力を笠に着て横暴な言動を重ねたと書かれている。
平城上皇の実弟・嵯峨天皇は、この尚侍の専横に対抗する為であろう。
機密事項を専門に扱う『蔵人所(くらんどどころ)』を新設し、自身の腹心を蔵人頭(くろうどのとう)に任命したという。
こうして、平城上皇と嵯峨天皇、実の兄弟の対立が顕著になって行くのである…
この時、坂上田村麻呂、全国の武官のナンバーツー、右近衛大将である…
歴史は常に動いている。
程なく、それは桓武天皇の知る所となり、二人は引き離されたという。
しかし、平城天皇が即位するとすぐにその“母親”は尚侍(ないしのかみ)に就任する。
尚侍とは、宮中の女官を束ねる役職である。
更に言えば、天皇の御座所『内裏』は、通常は男子禁制とされており、臣下の者から天皇への奏上並びに天皇からの勅令を伝える権限を一手に担っていたのが尚侍であった為に、その権勢は無視出来ない物となっていたようだ。
日本後紀には、この“母親”が、退位した平城上皇の権力を笠に着て横暴な言動を重ねたと書かれている。
平城上皇の実弟・嵯峨天皇は、この尚侍の専横に対抗する為であろう。
機密事項を専門に扱う『蔵人所(くらんどどころ)』を新設し、自身の腹心を蔵人頭(くろうどのとう)に任命したという。
こうして、平城上皇と嵯峨天皇、実の兄弟の対立が顕著になって行くのである…
この時、坂上田村麻呂、全国の武官のナンバーツー、右近衛大将である…
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