801年、征夷大将軍に任命され、四職兼任となった坂上田村麻呂は、4万程の軍勢を率いて胆沢に向かった。

そして約一年後、遂に蝦夷の首長アテルイとその参謀モレを降伏させたという。

日本後紀ではあまり言及されていないが、坂上田村麻呂が799年に陸奥出羽按察使・陸奥守・陸奥国鎮守府将軍に任命された時点で、全力で攻勢に出ていれば、もっと早く蝦夷を鎮圧できたかも知れない。

しかし、アテルイ等を降伏させるのに約3年を要している。

この期間、田村麻呂は朝廷からの蝦夷早期鎮圧の催促をのらりくらりとかわしつつ、できるだけ血を流さずに済ませる方法を模索していたようである。

この間には終戦交渉等も重ねられていたのであろう。田村麻呂とアテルイ、お互いの心意気も感じ取ったのであろうか…

田村麻呂はアテルイとモレを伴って都に向かうのである。


歴史は常に動いている。