日本後紀によると794年(平安京遷都の年!)、朝廷は征夷大使・大伴弟麻呂(おとまろ)、征夷副使・坂上田村麻呂の下、
10万程の大軍で再度胆沢平野へ進攻する。

交戦の詳細までは記録されていないが、征夷副使・坂上田村麻呂の奮戦により、
その戦果は400以上の首級を挙げた上での勝利だったという。

これが、有名な坂上田村麻呂の活躍が初めて記録に残された瞬間である…


歴史は常に動いている。