藤原仲麻呂は、藤原不比等の4人の子の長子・藤原武智麻呂の次男である。

不比等の子の4兄弟が天然痘と思しき伝染病で全滅してから、暫く藤原政権は陰りを見せていたが、やがて20年の時を経て仲麻呂が太政大臣に昇進し息を吹き返す事になる。

仲麻呂は唐に憧れを抱いていたようで、762年、正一位という天皇・上皇を除く人身のトップに上り詰めると、朝廷の省名や官名を唐風に改めて行ったという。

そんな時代に東北遠征が何度も行われたわけだが、これは古くから中国の王朝が『南蛮』や『北夷』等と呼ばれる異民族と戦い、これを従わせてきた歴史を藤原仲麻呂が真似ようとしていたからだと後世では噂されている…


歴史は常に動いている。