続日本紀によると、朝廷は天平9年(737年)に東北へ進軍し、役所機能も兼務する城や砦を建設しつつ、道路整備も進めたらしい。

そして、東国の農民のみならず、浮浪人までをも動員し、大量植民させたようである。

東北の民からすれば、西から勝手に大量の移民がやって来たわけで、当然の事ながら両者の間に争いが始まった。

やがてこの争いが大きくなって行く…


歴史は常に動いている。