仇討ち達成後も更なる研鑽を続けた林崎重信だが、実は甲斐の武田氏や小田原北条氏の合戦に参陣しているのである。

伝承によると、松田尾張守という武将の下で活躍したとされている。

因みに小田原北条氏の下に、松田尾張守憲秀という重臣がいたのは確実なので、この伝承は小田原方に加わって合戦に出ていた時の事ではないだろうか。

この参陣は武芸研鑽の一環と考える事もできるが、何はともあれ林崎甚助重信、単なる武芸者では無かったわけである。

何しろ“武芸”という物は“芸”の一種であり戦場で役に立つ物では無い!
と、考えられていた戦国時代であっただけに…


歴史は常に動いている。