伝説上の武芸者には、神に兵法開眼を祈願し、そしてついに奥技を神から授かる…という伝説がよくある。

京八流を学んでいた民治丸も、楯山林崎(現在の山形県村山市)の林崎明神に参拝していたらしい。

そして弘治2年(1556年)、“抜刀”を神授されたという。

その後さらに三年の修行を経て、ついに“抜刀”の奥技を開眼。

この時、民治丸17歳である。

民治丸はこの頃に元服し、
『林崎甚助重信』と名乗る事になったと言われている。

そして父の仇討ちへ…


歴史は常に動いている。