5歳で父を亡くした民治丸は、12歳頃から最上家の重臣・東根氏の一族と思しき、東根二郎太夫という人物に師事し、京八流を学んでいたらしい。

京八流とは、『義経記』の登場人物“鬼一法眼”が編み出し、剣術諸派の源流となったとされる、

義経流
鬼一流
判官流
鞍馬流
京流
諏訪流
吉岡流
陰流

の、八流の総称だと言われている。

鬼一法眼は鞍馬山中で八人の弟子にそれぞれの技を一つずつ伝授したとされているが、その中の一人が源義経・当時の牛若丸だったとか。

また、宮本武蔵との決闘で知られる吉岡清十郎・伝七郎兄弟が学んでいたのが八流の一つ、吉岡流だったと言われている。

現在ではほぼ失伝したとされる伝説の技群だが(鞍馬流という同名流派が現存するが、これは京八流では無いらしい)、あの源義経同様、少年期にこれを学んだとはいかにも居合・抜刀術の中興の祖、伝説の武人らしい…


歴史は常に動いている。