天文11年(1542年)、出羽国林崎(現在の山形県村山市)で生まれた民治丸(後の林崎甚助)。

父は浅野数馬重治と言い、室町14代将軍足利義輝の礼法指南役だったとか。

しかし、義輝が敗死すると流浪の身となり、天文7年(1538年)、最上家の家臣の楯岡満重に仕えるようになったという。

ところが天文16年(1547年)、浅野数馬は最上家の法要の事で対立した坂上主膳に闇討ちされてしまう。

民治丸は5歳で父を失ったわけだ。

この時から、仇討ちの為に武術修行を始める事となる。

それにしても5歳にして仇討ち~武術修行とは、現代人には図り知れない状況である。


歴史は常に動いている。