藤原氏の私的歴史書で、
『藤氏家伝』
という物がある。

この中の記述には、奇妙な事に、
『中臣鎌足は蘇我入鹿と肩を並べるほどの秀才だった。』
等という物が見受けられる。

また、日本書紀の後に作られた国家の正史
『続日本記(しょくにほんぎ)』
の中には、文武天皇が藤原不比等に対し
『父・鎌足の忠臣振りは、さながらタケウチノスクネ(第八代孝元天皇の曾孫にして蘇我氏を含む古代有力八氏の祖)の如し。』
と語った事が書かれている。

不比等が編纂に関わった物ならば、鎌足を称賛するのは解る。

しかしながら、鎌足が暗殺した蘇我氏の事まで同時に称賛してしまっているのは何故だろう?

藤原家が神代のアメノコヤネ・フツヌシ・タケミカヅチから連なる家系だと言うのであれば、ことさら蘇我氏を引き合いに出す必要は無いはずなのだが…。

わざわざ孝元天皇、延(ひ)いてはアマテラスから連なる蘇我氏と同等の名家だと、声高に叫ぶ事こそ、出自が怪しいと自ら暴露している事にはならないだろうか?


歴史は常に動いている。