奇妙な事実をひとつ。

奈良・東大寺の寺宝目録とでも言えば良いのか…
『東大寺献物帳』
という物がある。

この中に、百済王(義慈王)が内臣(うちつおみ・鎌足の事)に贈った厨子(仏像等を収める扉付きの箱状の物)という物が記録されている。

これだけならば何と言う事も無い記録なのだが、東大寺献物帳のみならず日本書紀の中からも、義慈王と中臣鎌足の関係、繋がり或いは付き合いは全く発見できないのである。

にもかかわらず、義慈王から皇極天皇や中大兄皇子にではなく、なぜ鎌足に贈ったのだろうか?

百済の義慈王にとって、鎌足は天皇や皇太子を上回る程の重要人物・実力者だったのだろうか?


歴史は常に動いている。