先のブログにも書いたとおり、皇極3年(644年)無位無冠の中臣鎌足は朝廷祭祀のトップ“神祇伯”になれるチャンスがありながら、これを断る。
そして翌年、三韓からの貢ぎ物が届けられた日に蘇我入鹿が宮中で暗殺されるのだが…
この時、鎌足は無位無冠のまま暗殺現場に立っていた。
ただ不思議な事に、この時、入鹿に長槍を持って直接手を下したのが皇太子たる中大兄皇子であり、中臣鎌足は弓を持って隠れていたという。
これではまるで立場逆転ではないだろうか?
無位無冠の鎌足が、まるで皇太子よりも立場が上の様に見えて仕方が無いのだが…
こう感じるのは私だけであろうか…?
鎌足は皇極天皇や三韓からの使者の前に姿を晒しては、都合の悪い事情でもあったのだろうか?
歴史は常に動いている。
そして翌年、三韓からの貢ぎ物が届けられた日に蘇我入鹿が宮中で暗殺されるのだが…
この時、鎌足は無位無冠のまま暗殺現場に立っていた。
ただ不思議な事に、この時、入鹿に長槍を持って直接手を下したのが皇太子たる中大兄皇子であり、中臣鎌足は弓を持って隠れていたという。
これではまるで立場逆転ではないだろうか?
無位無冠の鎌足が、まるで皇太子よりも立場が上の様に見えて仕方が無いのだが…
こう感じるのは私だけであろうか…?
鎌足は皇極天皇や三韓からの使者の前に姿を晒しては、都合の悪い事情でもあったのだろうか?
歴史は常に動いている。