さて、中臣鎌足について…
蹴毬?打毬?を通じて複数の王族と接触、中大兄皇子と急接近、やがてクーデター成功…等という話は周知の事であろう。
しかし、この“乙巳の変”など霞んでしまう程の、中大兄皇子最大の危機をご存知であろうか?
『白村江の戦い』と呼ばれる、百済復興の援軍として赴き、唐・新羅連合軍と激突の結果、大敗を喫した海戦…
この敗北は則ち、乙巳の変の様に失敗したら自分の身の破滅等というレベルではなく、国家存亡の危機を意味したのである。
この時、中大兄皇子の“右腕”中臣鎌足はどこで何をしていたのか、日本書紀には全く記されていないのだ。
そして白村江の戦いが終わってから、またひょっこりと鎌足は再登場、中大兄皇子の近くで政治に参画するようになる。
この国家の非常時における鎌足の所在が不明である事と、中臣氏の家系が不明である事が関係している可能性がある。
教科書に載らない小さな糸口…
歴史は常に動いている。
蹴毬?打毬?を通じて複数の王族と接触、中大兄皇子と急接近、やがてクーデター成功…等という話は周知の事であろう。
しかし、この“乙巳の変”など霞んでしまう程の、中大兄皇子最大の危機をご存知であろうか?
『白村江の戦い』と呼ばれる、百済復興の援軍として赴き、唐・新羅連合軍と激突の結果、大敗を喫した海戦…
この敗北は則ち、乙巳の変の様に失敗したら自分の身の破滅等というレベルではなく、国家存亡の危機を意味したのである。
この時、中大兄皇子の“右腕”中臣鎌足はどこで何をしていたのか、日本書紀には全く記されていないのだ。
そして白村江の戦いが終わってから、またひょっこりと鎌足は再登場、中大兄皇子の近くで政治に参画するようになる。
この国家の非常時における鎌足の所在が不明である事と、中臣氏の家系が不明である事が関係している可能性がある。
教科書に載らない小さな糸口…
歴史は常に動いている。