今、わかっている事実だけを羅列してみよう。

★皇室
アマテラス~オシホミミ~ニニギ~ホヲリ~ウガヤフキアエズ~カムヤマトイハレビコ(初代・神武)

★蘇我氏
孝元天皇(第八代)の曾孫・タケウチノスクネ~イシカワノスクネ~マチ~カラコ~コマ~イナメ~ウマコ~エミシ~イルカ

★物部氏
ニギハヤヒ(ニニギとは別ルートでハナから畿内に降臨し、ナガスネヒコの妹と結婚していた天津神)~※九代を経て~メ~アラヤマ~オコシ~モリヤ


真偽の程は別として、一応は国家の正史として編纂された『日本書紀』では、政治の中枢に関わる一族の神代からの家系が上記のように明らかにされているのだが、
中臣氏は皇極天皇の時代(AD644)に唐突にカマタリが現れる。


中臣氏の始祖神(氏神)は、古事記には登場せず日本書紀にのみ出て来るフツヌシとされているのだが、カマタリまでの系譜が一切記述されていない。

これは何故か?
という疑問から始まった探究…


歴史は常に動いている。