宮古湾の西方に、平泉を脱出した義経主従が訪れたという噂のある、“横山八幡宮”という神社がある。

横山の集落自体は、1614年(江戸時代初頭)の津波で壊滅してしまったそうで、古い記録は大部分が失われてしまったようだが、横山八幡宮の由緒には面白い事が書かれているらしい。

かいつまんで説明すると、義経主従が三年以上もこの地に滞在し、武蔵坊弁慶が直筆の大般若経五百部を納めたという。

これだけではどうと言う事も無い話だが、実は弁慶真筆の大般若経という物が岩手から青森にかけて、いくつか確認されている。

長い期間を経て、写経されて近隣の旧家にいくつも存在するようになっているようだが、これら写経のオリジナルとされる
『宮古の横山八幡宮』の大般若経、
『青森県八戸の小田八幡宮』の大般若経、
『同じく青森県油川から弘前に移転した円明寺』の大般若経
の三点はいずれも筆跡がほぼ同じと言えるそうである。

そしてこの三箇所を結ぶ道筋及び竜飛崎にまで到る道筋には、“判官堂”と呼ばれる建物跡や義経主従が逗留したと伝えられる寺社が相当数存在している。

それぞれの地域が単一の言い伝えを捏造するのは簡単であろう。

ただ、平泉から北へ行く道筋に義経逗留伝説のある建造物のみならず、弁慶直筆と言われている経文までがそれぞれに関連性を見出だせる形で残っているのは事実であり、大変興味深い。


歴史は常に動いている。