正室の子と側室の子の違い…に関するコメントを頂いたので、ここで触れておきたい。
平安時代末期、母親の出自はイザと言う時に人生を左右した。
その一つが家督相続権だ。
頼朝や義経の時代、家督を継ぐ事が出来るのは、正室の産んだ男子とされていた。
頼朝は、あのクサナギの剣を御神体とする熱田神宮の宮司の娘であった正室の子であり、二人の兄が既に死んでいたので、問題無く源氏の棟梁と認められた。
一方の義経の母だが、身分の低い出自もはっきりとしない者だったとか。
もし、頼朝が正室の子でありながら才覚の無い男だったとしたら、亡き義朝の宿将達の不満が募り、平家と戦う以前に内乱と言おうか、御家騒動が始まってしまったかも知れない。
頼朝がこの様な事態を引き起こさないだけの冷静(冷酷?)な性格だったのは、不幸中の幸いと言えよう。
このように、争いの原因になりがちな母の出自については、ほぼ問題無くクリアできていたのだが、義経が兄の意図を理解できずに勝手な行動を取った時には、
『あの妾の子めが…!』
などと、腹を立てる原因とは直接関係の無い考えが出てきてしまった可能性は否定しきれない。
さて、義経の“勝手な行動”とは?
次は具体的な“事件”を探ってみたい。
歴史は常に動いている。
平安時代末期、母親の出自はイザと言う時に人生を左右した。
その一つが家督相続権だ。
頼朝や義経の時代、家督を継ぐ事が出来るのは、正室の産んだ男子とされていた。
頼朝は、あのクサナギの剣を御神体とする熱田神宮の宮司の娘であった正室の子であり、二人の兄が既に死んでいたので、問題無く源氏の棟梁と認められた。
一方の義経の母だが、身分の低い出自もはっきりとしない者だったとか。
もし、頼朝が正室の子でありながら才覚の無い男だったとしたら、亡き義朝の宿将達の不満が募り、平家と戦う以前に内乱と言おうか、御家騒動が始まってしまったかも知れない。
頼朝がこの様な事態を引き起こさないだけの冷静(冷酷?)な性格だったのは、不幸中の幸いと言えよう。
このように、争いの原因になりがちな母の出自については、ほぼ問題無くクリアできていたのだが、義経が兄の意図を理解できずに勝手な行動を取った時には、
『あの妾の子めが…!』
などと、腹を立てる原因とは直接関係の無い考えが出てきてしまった可能性は否定しきれない。
さて、義経の“勝手な行動”とは?
次は具体的な“事件”を探ってみたい。
歴史は常に動いている。