富士川の合戦より、頼朝は源氏の棟梁と呼ばれていたが、実は父・義朝から見れば長男ではなく三男だ。

長男・義平、次男・朝長は、平治の乱で父・義朝と共に敗死している。
この時、頼朝はまだ13歳。平家方に捕まり、それから約20年間を平家方勢力に監視され続ける緊張の日々を送った。

頼朝が疑心暗鬼で常に冷酷非情とも言える判断力を得たのは、この監視生活に起因しているのではなかろうか。

一方の義経は義朝の九男で、平治の乱の時は僅か2歳。
5歳までは母と共に暮らす事ができ、その後の鞍馬寺や奥州藤原氏の所での生活では、亡き源氏の棟梁・義朝の子として特別待遇をされていたらしい。

結果、義経は世間知らず、もっと言えば常識知らずに育ってしまったフシがある。

この生活環境の差は、やがて起こる壮大な兄弟喧嘩の遠因となったかも知れない。

次回は更に詳しく探ってみたい。


歴史は常に動いている。