さて、三十八年戦争よりも更に100年少々前の事だが…

658年、斉明天皇の時代に征夷大将軍に任命された“阿倍比羅夫”は、水軍180隻を率いて日本海から現在の秋田市あたりに攻めのぼり、現地の蝦夷の長“恩荷(オガ)”を下し、更には現在の北海道中央部まで進軍し、“粛慎(ミシハセ)”と呼ばれる種族と戦ったという。

(粛慎とは、北方ツングース系の狩猟民族かと推察されている。)


この段階で、かなりの軍勢を蝦夷征討に費やしているのだが、特筆すべきは、この僅か五年後には百済再興の援軍として、二万以上の兵を朝鮮半島に派遣し、唐・新羅連合軍と戦火を交えているという事実だ。

後に“白村江の戦い”と呼ばれ、結果、大敗を喫した戦いなのだが、これ程の戦費を日本はいったいどの様に捻出したのだろうか?

兵士については強制的な徴兵制でなんとかなるだろう。
しかし、武器や食料に関してはどうだろう?

そこまで潤沢な資金或いは貯えが有ったのだろうか?

ますます“東北地方産の黄金”への疑いが増大してしまうのは、私だけだろうか?


歴史は常に動いている。