三十八年戦争…
と言っても、宇宙世紀78年前後に起こった一週間戦争・ルウム戦役・一年戦争とは何の関係も無い。

これはAD774年~AD811年の間に朝廷によって集中的に行われた“蝦夷征討”の歴史である。

774年、大伴駿河麻呂が蝦夷征討を命じられてから、
811年、歴代の征夷大将軍の中でもかなり有名な“坂上田村麻呂”の前に、蝦夷の英雄と呼ばれた“アテルイ”が降伏するまでの戦いが、後に『三十八年戦争』と呼ばれるようになったのである。

何故、朝廷は執拗に蝦夷を支配下に組み込もうとしたのか?

478年、倭王“武”(おそらく雄略天皇の事)が、中国南北朝時代の南朝宋に対して、倭も属国を持つ『小帝国』である事をアピールする為の外交政策として始めた蝦夷征討。(宋書)

そして、坂上田村麻呂の時代(7世紀末~8世紀初頭)においては、おそらく東北に眠る黄金に目を付けた上での征討。
(これは、東北出身者が朝廷で要職に就く時に、大抵の場合、賄賂と思しき黄金が流れたという事実からの推測。)

他にも隠された理由が有るやも知れぬ…


歴史は常に動いている。