先のブログについて、古代中国で使われていた甲骨文字の“書”を書いている、村守水分(むらかみすいぶん)先生が、
「神武天皇が古代中国の殷の人だとしたら…?」
という話をしておられたので、今回はひとつの可能性について考えてみたい。

キリスト生誕を紀元とする『西暦』という考え方と同様、日本には神武天皇即位を紀元とする『皇紀』という暦の数え方がある。
因みに今年は皇紀2671年だそうだ。

仮に、神武天皇が実在し、2671年前に即位したのが事実だったとして…

今から2671年前、BC660年頃、中国大陸では殷の次の王朝『周』は既に支配力が無く、その下にいた諸侯が次なるトップを目指して争う“春秋時代”に突入して100年程経っていたという。

その中で、春秋時代初頭に中国南部の沿岸部に存在し、戦国時代とも呼ばれる後期には南部の強国“楚”に併合されてしまった“呉”“越”の二国がある。『呉越同舟』という言葉の語源となった、敵対する二つの国だ。

私が思うに、もし、神武天皇が大陸から日本列島に渡って新天地を求めた軍司令官だったとして、時代的につじつまが合う国が有るとすれば、この“呉”か“越”ではないだろうか?

いわゆる奇説・奇伝の一つに、神武天皇の頭には角(ツノ)が有ったとか。

かつて、私の旧友で中国史が好きな者から聞いた話だが…
「古代中国では勲功を上げた武将には王から角の付いた兜が贈られたというが、神武天皇の“ツノ”とはこの兜ではないか?」
という話。

物的証拠が何も無いので、あくまでも状況だけをあてはめて考えた推論に過ぎないのだが…。


歴史は常に動いている。