古事記や日本書紀の伝説によると、高天が原(タカマガハラ)から九州日向に降臨したアマテラスの孫“ニニギ”の子孫“カムヤマトイワレヒコ”、(後の神武天皇)が、軍勢を率いて東征した。

この時、畿内には土着の王“ナガスネヒコ”が居て、激しく抵抗したと言う。
この戦いではイワレヒコの兄“イツセ”が戦死したとか。
結果、一旦は撤退を余儀なくされたイワレヒコ。
その後、アマテラスの子孫たる自分が太陽に向かって進軍したのがいけなかったと考え、紀伊半島を迂回して東から西へ畿内を攻めて勝利するのだが…

ここでナガスネヒコにスポットを当ててみたい。

このナガスネヒコには“ニギハヤヒ”という神が後ろ盾として付いていたらしい。ニギハヤヒの妻はナガスネヒコの妹で、両者の絆は堅固な物だったに違いない。
このニギハヤヒ、実はニニギとは別ルートで高天が原から降臨した神だそうだ。
イワレヒコもニギハヤヒも、自分が本物の高天が原から降臨した神、あるいはその子孫である証明として、互いの神宝を見せ合ったらしい。
結果、互いに本物と認め合ったとか。

古事記ではその最後を明確に描かれていないナガスネヒコだが…
日本書紀には、なんと後ろ盾だったはずのニギハヤヒに裏切られて討たれ、ニギハヤヒがイワレヒコに恭順するという衝撃の結末が書いてあるのだ。

ここで不自然な現実を考えてみたい。

アマテラスの孫として鳴り物入りで降臨したにもかかわらず、なぜか日向という辺境に降り立った“ニニギ”と、初めから畿内という中央部に降臨していた“ニギハヤヒ”。

どちらが正当支配者なのか?

“東征”という言葉の意味とは何か?
畿内のナガスネヒコは、征伐されなければならない程の悪行を働いていたのか?


疑問は尽きない…。


因みにこのナガスネヒコこそは土着の王、すなわち『原日本人』だ!
とか…
ナガスネヒコは畿内では死なずに東北に逃れ、後に『蝦夷』と呼ばれる人々の始祖となった!
とか…

異説・異伝がちらほら残っているが、真実は闇の中…新たな文献等が発見されない限り…。


歴史は常に動いている。