信頼性の高い中国側の歴史書に記述されている『倭国』にあったとされる『邪馬台国』。

なぜか日本側の正史『日本書紀』には一切出て来ない。
同時代に成立した『古事記』にも。

なぜか??

今のところこの疑問に対する明確な答えが出ていない。

様々な説が乱立している。

邪馬台国は九州か近畿か?
中国側が『倭人が住む場所』と認識していたのが本当に現在の日本列島なのか?
邪馬台国は本当に日本列島小国連合の中心的役割を果たしていたのか?
魏に挨拶をし、“親魏倭王”印綬を受け取ったのは、本当に邪馬台国からの使者だったのか?
700年代の大和政権は邪馬台国の存在を知らなかったのか?
あるいは、不都合な真実があった為に知っていたにもかかわらず敢えて記録に残さなかったのか?

疑問はいくらでも出て来る。

“親魏倭王”の印綬が発見されれば、邪馬台国の存在と場所を特定する決定打になるとは思うのだが…


歴史は常に動いている。