西暦300年代末期から400年代初頭に生きた高句麗王、“好太王”は、積極的な軍事活動で領土を広げたので、『広開土王』とも称される。
この好太王の足跡が記されている石碑が朝鮮半島の付け根付近、現在の中国吉林省にある。
この『好太王碑』、風化して解読困難な所もあるのだが、倭国に関する記述が一部出て来るのだ。

曰く、好太王即位の391年に倭国の軍勢が半島に現れ、百済を支配下におき、次は新羅にまで侵攻して来たので、高句麗から軍を南下させ新羅を助けた…

…と言う。

この碑文には、当時の倭の支配者や、倭軍の司令官等の名が一切出て来ないので断定は出来ないが、古事記や日本書紀の記述と対比させると、もしかすると?あるいは?この時の倭軍指導者が応神天皇の母“神功皇后”である可能性が無きにしもあらず…。

無論、好太王碑の文章かいざん説や神功皇后架空説等もあるので、これからの謎解きに注目したい。


歴史は常に動いている。