現代の日本人は、日本土着の物から中国大陸からの渡来物、果ては西洋の物まで、様々な宗教を寛容に受け入れているが…


いつから“信仰心”らしき物があったのだろうか?
遡れば、縄文遺跡の埋葬施設・墓からもそれは感じとる事ができる。

死者の墓の上を巨大な石でふさいでしまう“支石墓”や、死者の腹に巨大な石を抱かせて埋葬する“抱石葬”という形態の墓は、死者あるいは死そのものを恐れた(畏れた?)証とも言われる。



ありていに言えば、死者が動き出して暴れるといけないので、それを防ぐ為の実力行使でオモリをつけてしまおうという事だ。
今で言う“祟り”を恐れた結果であろう。

この考え方・概念は、現代日本の神道の中にも見られる。

古くはオオクニヌシの出雲大社やその息子タケミナカタの諏訪大社、菅原道真の天満宮(天神さま)等、不運な終焉・非業の死を遂げた存在を“神”として祭り、あがめるのも、やはり祟りを鎮める為だったと考えられる。

そんな神社の成立を知らずに、自身の欲望を叶えて欲しいとお願いばかりする人間がなんと多い事か…


歴史は常に動いている。