Kick Mizukoshiのブログ-111120_141229.jpg


天下分け目の一戦“関ヶ原”で、石田三成の西軍に付いて破れ、その後は八丈島に流されてその生涯を閉じた猛将、宇喜多秀家。

板橋区役所前近くの東光寺にあるこの墓標、宇喜多家の子孫の手によって、明治維新後に建てられたそうだ。

あくまでも伝説と言うか噂話と言うか…
秀家は死ぬまで太閤秀吉の遺志を継ごうとしていたらしい。

それは…

豊臣家にもしもの事があったら、遠く九州鹿児島の島津の下に秀頼を逃がせ。そしていつの日か期を見て、秀頼を奉じて島津と宇喜多が連携して決起せよ…という遺言。

八丈島での秀家は、いつも海の彼方を見ては、
『島津殿はまだ動かぬか?』
と、つぶやいていたとか。

あくまでも歴史の中の噂話。


歴史は常に動いている。