初めての方へ――このブログに込めた思い

 

子どもたちが、体育館を元気に走り回る。

 

私は小学校の体育館で夜間開放の管理をしています。その姿を見ていると、この子たちが大人になるころ、日本はどんな国になっているのだろうと考えます。

 

働けば、暮らしを築けるだろうか。

病気になったら、必要な治療を受けられるだろうか。

食べ物や電気が安定して届き、安心して家族と暮らせる社会を、私たちは手渡せるだろうか。

 

そんな将来の話をするとき、よく聞く言葉があります。

「国債を増やすと、子どもや孫に借金を残すことになる」

 

子どもたちに苦労をさせたくない。その思いがあるからこそ、心に重く響く言葉です。

 

でも、ここで一つ、考えてみたいのです。

 

将来のためにお金を使わなかったとき、子どもたちは、どんな社会を受け取るのでしょうか。

 

古くなった橋を直さず、水道管の更新を延ばし、技術を受け継ぐ人を育てなかったら。

 

政府の借金の数字だけを見ていては、見落としてしまうものがあります。

 

今回は、国債の仕組みを確かめながら、私たちが次の世代へ残すものを考えたいと思います。

国債は、政府の負債であり、保有する人の資産です

まず、国債とは何でしょうか。

 

国債は、政府が発行する債券です。政府は、その条件に従って利子を支払い、満期には元本を返します。この元本を返すことを「償還」といいます。

 

政府から見れば、国債は確かに負債です。

 

しかし、その反対側のことは、ほとんど語られません。

 

負債があるなら、必ず反対側に資産があります。

 

つまり、その国債を持つ人には、お金を受け取る権利があるのです。

 

銀行が持てば、銀行の金融資産。保険会社が持てば、保険会社の金融資産。個人が持てば、その人の金融資産です。日本銀行も、国債を資産として保有しています。

 

一つの国債には、政府の負債と、保有者の金融資産という二つの側があります。

以前の記事で考えた、「反対側を見る」という視点ですね。

 

政府の負債が増えたという数字だけを示されると、その金額だけ、日本全体の富が失われたように感じるかもしれません。

 

けれど、その国債を金融資産として持っている側もあります。さらに、政府の支払いを収入として受け取った会社や、そこで働く人もいます。

 

財政を見るときに大事なのは、両方の側面を見ることですが、マスメディアがこのことを語るのを、あなたは見たことがあるでしょうか。

赤ちゃんが、住宅ローンを背負って生まれるわけではありません

「国の借金は、国民一人あたりにすると○○万円」

 

そんな表現を目にすると、自分や子どもにも、返さなければならない借金が割り当てられているように感じます。

 

しかし、この数字は、政府の債務残高を人口でただ割ったものです。

 

生まれたばかりの赤ちゃんが、政府と借入れの契約をしたわけではありません。ある日、その子のところへ「あなたの分を返してください」という請求書が届くわけでもありません。

 

政府の債務と、一人ひとりが契約した住宅ローンは、別のものです。

 

将来の税負担や、財政政策が暮らしにどう影響するかは、具体的に考える必要があります。その議論をするためにも、まず、政府の負債を、そのまま個人の借金として受け取らないことが大切なのです。

 

子どもたちの将来を考えるなら、不安を強める数字の示し方よりも、何を受け継ぐのかを見たいと思います。

国債は、満期のたびに全部を税金で返すのでしょうか

では、その国債は、どのように返すのでしょうか。

 

たとえば、10年国債には、発行から10年後に満期が来ます。政府は、その時点の保有者に、元本を支払います。

 

ここで、「返す」という言葉を、もう少し丁寧に見てみましょう。

 

個々の国債を持つ人へ、約束どおりお金を返すこと。

政府が発行した国債の残高全体を、すべてゼロにすること。

 

この二つは、同じではありません。

 

政府は、満期を迎える国債の償還資金の一部を、新しい国債を発行して調達しています。そのための国債を「借換債」といいます。

 

古い国債の保有者には、償還金を支払う。その一方で、新しい国債が発行され、政府債務の一部が引き継がれていくのです。

 

国債をきちんと償還することと、政府債務を借り換えながら管理することは、両立します。

 

「借金はいつか全部返して、なくさなければならない」という家計の感覚だけでは、この仕組みを捉えにくくなります。

 

国が長く存続し、その中で人々の暮らしや仕事が続いていく。その時間の中で、国債も管理されているのです。

借換えは、日本だけの特別なことではありません

こうした借換えは、海外でも行われています。

 

OECDの『Global Debt Report 2026』では、OECD諸国の政府が2026年に行う借入れのうち、78%が既存債務の借換えに充てられる見込みとされています。

約8割という大きな割合です。

 

世界の政府が、満期のたびに税金だけで国債を返し、債務残高をゼロへ向かわせている、という姿ではないことが分かります。

 

借換えを含めて、政府債務を管理する。その仕組みを知るだけでも、「子どもたちが全部返す」という言葉の受け止め方は変わるのではないでしょうか。

日本の「60年償還ルール」とは

ここで、日本の制度も見ておきましょう。

 

建設国債と特例国債には、借換債を含め、全体として60年で現金償還するという「60年償還ルール」の考え方があります。

 

少し難しく感じますね。数字で見ると、理解しやすくなります。

 

説明のため、600億円の国債を、すべて10年国債で発行したとしましょう。

 

10年後には、保有者へ600億円を償還します。その資金について、100億円を現金償還分とし、残る500億円は借換債を発行して調達する、という考え方です。

 

さらに、その借換債も10年国債だったとすると、次の満期には500億円を返します。そのうち100億円を現金償還分とし、残る400億円を借り換えます。

 

このように繰り返し、当初の600億円を、60年間で現金償還していくのです。

 

ここでいう「現金償還」は、借換債以外の財源で償還するという制度上の言葉です。

 

保有者へ現金を渡すのが100億円だけで、残りは返さないという意味ではありません。

保有者への支払いは満期に行い、その資金をどう用意するかについて、長い期間のルールを設けているのです。

なぜ、60年なのでしょうか

財務省の説明では、この考え方の出発点には、建設国債で整備する社会資本がありました。

 

公共事業で造られる建築物などが役立つ期間を、平均しておおむね60年と考え、その期間内に現金償還を終えるという発想です。

 

今造った橋は、今の世代だけが使うものではない。

 

その橋を、30年後に通学する子どもも使う。堤防は、将来そこで暮らす人も守る。

だから、長い期間にわたる受益と負担を考える。

 

国債の制度の中にも、今のお金で整えたものが、次の世代にも役立つという考え方があるのですね。

 

「国債は将来世代へのツケ」という一言では、この側面が抜け落ちてしまいます。

このルールは、世界共通のものではありません

日本で長く使われている制度は、つい、どの国にも共通する仕組みのように感じられます。

 

しかし、60年償還ルールは、世界共通の決まりではありません。

 

2023年の国会で、政府は、G5やEUなどの主要先進国には、日本の60年償還ルールのような、償還財源の確保に関する特別な制度はないと説明しています。

 

各国は、それぞれの制度の中で、国債の償還や財政の規律を考えています。

 

日本のルールを、国債というものに必ず備わる、変えられない自然の法則のように考える必要はありません。制度は、目的と効果を確かめながら考える対象です。

 

このルールをどう評価するかは、別の機会に掘り下げたいと思います。今回はまず、国債を管理する方法は一つだけではない、と知っていただければと思います。

子どもたちが受け取るのは、国債残高だけでしょうか

ここから、暮らしへ戻りましょう。

 

たとえば、政府が国債を発行し、老朽化した橋を架け替えたとします。

工事をする会社に仕事が生まれ、働く人に給料が支払われます。完成後は、その橋を人や車が通ります。

 

食料を運ぶトラック。病院へ向かう車。学校へ通う子どもたち。

橋は、毎日の暮らしの中で使われていきます。

 

その橋を架けるために発行した国債が、政府の帳簿に残っていたとしましょう。

そのとき、将来の人が受け取るものを、「借金」の一言だけで表せるでしょうか。

 

そこには、安全に渡れる橋もあります。その橋を造り、維持する技術もあります。人や物が行き来できる地域の暮らしもあります。

 

国債の数字とともに、支出によって何が残ったかを見なければ、財政の意味は分かりません。

使わなかったお金の向こうにも、結果があります

反対に、支出を抑えて、橋の修理を先送りしたらどうでしょうか。

 

傷みが進み、やがて通行できなくなるかもしれません。遠回りが必要になれば、通勤にも配送にも時間がかかります。暮らしが不便になり、商売の費用も増えます。

 

水道管を更新しなければ、将来、漏水や断水への対応が必要になることもあります。

 

研究や人材育成を細らせれば、技術を持つ人が減り、必要なときに仕事を頼める相手がいなくなるかもしれません。

 

これらは、考えられる影響を示した例です。大切なのは、お金を使わないという判断にも、その先の結果があることです。

 

今年の支出を抑えたからといって、将来の負担まで小さくなったとは限りません。

今なら直せるものを放置し、大きく壊れてから直す。育てるべき人を育てず、必要になってから困る。

 

そうして残された困難も、次の世代が引き受けることになります。

私は、そこにこそ「将来世代へのツケ」があると思うのです。

本当に残したいのは、暮らしを支える力です

将来の子どもたちは、国債残高という数字の上を歩くわけではありません。

 

道路を歩き、橋を渡り、学校で学び、誰かが作った食べ物を食べます。

電気が必要です。水が必要です。病気になれば、診てくれる人が必要です。

 

それらを、実際に生み出し、届ける力。

このシリーズで繰り返し考えてきた「供給能力」です。

 

供給能力は、建物や機械だけを指すものではありません。

機械を扱う人。故障に気づき、直せる人。農地の状態を見て、作物を育てる人。患者の変化を見て、必要な対応をする人。

 

長い時間の中で身につけた知識や技能も、暮らしを支える力です。

 

経験のある人が仕事を続け、次を担う人に伝える。設備を更新し、明日も使える状態を保つ。

 

未来へ社会を手渡すというのは、そうした日々の営みを、途切れさせないことでもあると思います。

今日の暮らしを支えることも、未来につながります

将来に役立つものというと、橋や工場のように、形が残るものを思い浮かべやすいかもしれません。

 

けれど、人が生きていくための支えも大切です。

 

必要な治療を受け、回復して暮らしへ戻れること。困難な状況にある子どもが、食事を取り、学び続けられること。

 

今日の暮らしを守る支出が、その人の将来を支える場合もあります。

 

何十年後まで建物が残るかどうかだけで、支出の価値を測ることはできません。

 

守るべき人の生活があり、続けるべき仕事があり、その先に次の世代の社会があります。

 

お金の使い道を考えるときには、そのつながりも大切にしたいと思います。

利払いと借換えも、現実の問題として見ます

国債を管理するうえでは、利払いも重要です。

 

新しく発行したり、借り換えたりする際の金利が高くなれば、政府の利払い費にも影響します。予算の中で、どう対応するかを考える必要があります。

 

また、満期までの期間が短い国債が増えれば、より頻繁に借換えを行うことになります。その分、金利や市場の変化への対応が重要になります。

 

OECDも、借入れの期間が短くなることに伴う借換えリスクを、2026年の報告で取り上げています。

 

こうした条件を確かめながら、安定して管理する必要があります。

 

だからこそ、国債の議論は、「借金だから悪い」という印象を超えて、制度と使い道を具体的に見るものであってほしいのです。

お金と、実際にできることを結びつける

必要な工事であっても、技術者や資材が足りなければ、すぐには進められません。

 

人も設備も限界まで働いているところへ注文を増やせば、価格が上がったり、ほかの仕事が遅れたりすることがあります。

 

お金を支払う仕組みと、現実の仕事を担う力は、結びつけて考える必要があります。

 

ここでも、人材や設備への投資が大切になります。技術を持つ人が辞め、会社が閉じてしまってからでは、その力を取り戻すのに時間がかかります。

 

不足してから慌てるのではなく、必要な仕事を続けられる条件を、今から整える。

国債をどう使うかという問いは、そうした時間の長さとも関わっています。

この子たちに、何を手渡すのか

体育館で走り回っている子どもたちは、これから大人になります。

 

そのとき、誰かが整えた設備を使い、誰かから技術を学び、誰かが守ってきた社会の中で暮らすことになります。

 

私たち自身も、前の世代が残してくれたものの上で、生きてきました。

 

道路も、学校も、医療も、産業も、初めからそこにあったわけではありません。造り、働き、維持してきた人がいます。

 

今度は、私たちが手渡す側です。

 

国債残高という数字だけを見て、「将来のために使わない」と決めてしまってよいのでしょうか。

 

借金をいくら残すのかとともに、その国債とともに何を残すのかを、問いたいと思います。

 

安心して渡れる橋。必要な食料を作る農地。安定して使える電気。人を育てる学校。病気の人を支える医療。そして、それらを担う人と技術。

 

財政を考えることは、子どもたちが生きる社会を、どんな姿で手渡すかを考えることです。

 

私は、帳簿の数字の向こうに、その子たちの暮らしを見ながら、この問いを考え続けたいと思います。

次回は、政府支出の限界を考えます

ここまで、銀行の信用創造、政府の支出、税、国債を見てきました。

 

すると、「自国通貨を持つ政府なら、お金をいくらでも使えるのだろうか」という疑問が出てきます。

 

人を育てるには時間がかかります。食料や電気、設備も、必要になった瞬間に、いくらでも増やせるわけではありません。

 

次回は、インフレと供給能力を手がかりに、政府支出の限界はどこにあるのかを、一緒に考えていきます。

 


前回の記事:
税金は、何のためにあるのでしょうか【日本経済を考える⑤】

 

関連するnote:
国債は、本当に「将来世代へのツケ」なのか―子どもたちに残すものを考える

 

「日本文明ブログ」では、火曜日に歴史・文明、金曜日に経済について、基礎から一緒に考えていきます。

補足

本文の国債の説明は、日本の円建て国債を念頭に置いています。政府の負債と保有者の金融資産は対応しますが、資産を持つ人と税を負担する人が同じとは限らず、外国の保有者もいます。利払い、所得の分配、物価、為替などの影響も、具体的に見る必要があります。

60年償還ルールは、建設国債・特例国債と、その借換えを含む償還の考え方です。復興債など、異なるルールの国債もあります。600億円の例は、すべて10年国債として単純化しています。日本の国債残高全体が、今から60年後にゼロになるという意味ではありません。諸外国との制度比較は、本文で示した2023年の政府答弁に基づきます。

国債発行や支出には法律・予算などの手続があり、必要性、優先順位、実効性、資源の制約を確かめる必要があります。本文は、国債残高だけで将来世代への影響を判断せず、支出によって残るものと、先送りによる影響も合わせて考える立場から書いています。

主な参考資料