食卓に、ご飯とおかずが並びます。

箸を持つ前に、ひと言。

「いただきます」

 

子どもの頃から口にしてきた、身近な言葉ですね。

けれども、私たちはこの言葉を、誰に向けて言っているのでしょうか。

 

料理を作ってくれた人でしょうか。
食材を育てた人でしょうか。
それとも、目の前の食べ物そのものでしょうか。

 

今回は、毎日の食事から、日本の暮らしの中にある感謝の気持ちを考えてみたいと思います。

 

一杯のご飯が届くまで

 

目の前に、一杯のご飯があります。

お腹が空いていれば、あっという間に食べ終わってしまうかもしれません。

 

しかし、そのお米が食卓へ届くまでには、長い時間と、多くの仕事があります。

田んぼを整える。


苗を育てる。
水を管理する。
稲の様子を見守り、収穫する。

 

その後も、保管し、精米し、運び、販売する人がいます。そして、誰かがお米を研ぎ、ご飯を炊いてくれます。

 

家で炊いたご飯にも、お店のおにぎりにも、その先には人の仕事があります。

食べ物を受け取ることは、見えないところにいる人々の働きを受け取ることでもあるのですね。

 

食べ物は、もともと生きていた

 

もう一つ、忘れたくないことがあります。

 

お米は、田んぼで育った稲の実です。
野菜も、畑で育った植物です。
魚や肉も、生きていた命に由来します。

 

私たちの食事は、自然の中で育まれた命に支えられています。

農林水産省の食育資料でも、「いただきます」や「ごちそうさま」は、食べ物の命、自然、食に関わる人々への感謝を表す言葉として説明されています。

 

私たちは、自分だけの力で生きているわけではありません。

そのことに、食事の前の短いひと言が気づかせてくれるのではないでしょうか。

 

神への祈りと、「いただきます」

 

食事の前に感謝を表す習慣は、日本だけのものではありません。

例えば、キリスト教には、食べ物を神からの恵みとして受け取り、神に感謝と祝福を求める食前の祈りがあります。

 

もちろん、西洋のすべての人が同じ祈りを捧げるわけではありません。信仰や家庭によって習慣は異なります。

 

一方、日本語の「いただきます」は、その言葉だけでは、誰に向けているのかを明示していません。

 

食べ物となった命。
自然の恵み。
育て、運び、料理してくれた人々。

 

私たちは、そのつながりに思いを向けながら、この言葉を口にしています。

 

神を明確な呼びかけの相手とする祈りと、感謝の相手を言葉の中で限定しない「いただきます」。

 

ここに、感謝の表し方の違いが見えますね。

 

ただし、神への感謝だから、自然や人への感謝がないということではありません。

カトリックの教えにも、食前の祈りを通じて、自然の恵みや食事を支える人々の働きに感謝するという説明があります。

 

違いを知ることは、優劣をつけることではありません。

食事を当たり前のものとせず、自分を支える存在に感謝する。その共通する心を確かめながら、私は、身近な「いただきます」という言葉の豊かさを、改めて大切にしたいと思います。

 

縄文の食卓を想像してみる

 

ここで、これまで見てきた縄文の暮らしを思い出してみましょう。

 

三内丸山遺跡からは、クリやクルミなどの木の実、果実、魚や動物の骨などが見つかっています。

 

縄文の人々は、森や川、海から、さまざまな食べ物を得ていました。

現代のように、商品が棚に並ぶスーパーはありません。

 

食べ物を探し、採り、運び、食べられるように手を加える。その一つひとつが、暮らしの中にあったのでしょう。

 

もちろん、当時の人々が食事の前に何と言っていたのかは分かりません。「いただきます」という今の言葉が、そのまま縄文時代から続いているというわけではないでしょう。

 

それでも私は、縄文の暮らしを考えることで、食べ物を得ることと、自分の命をつなぐことが、すぐ隣り合っていた生活を想像できます。

 

「いただきます」という感覚は、縄文の暮らしの中にあったと、私は思っています。

 

そこから、自然の恵みに支えられて生きるという感覚を、今の私たちも学べるのではないでしょうか。

 

便利になったからこそ、思い浮かべたいこと

 

今は、魚が切り身になり、肉がパックに入り、お弁当がすぐに買える時代です。

忙しい毎日を支える、大切な便利さです。

 

一方で、食べ物が育った場所や、食卓へ届くまでの仕事は、見えにくくなりました。

 

値段や味は、買うときに確かめられます。

しかし、それを作った人の苦労や、材料となった生き物の姿が、包装に書かれているわけではありません。

 

だからこそ、食べる前に、ほんの少し思い浮かべてみる。

 

「このお米は、どこで育ったのだろう」
「この魚を、とってきた人がいるんだね」
「今日もご飯を用意してくれて、ありがとう」

 

難しい説明でなくても、食卓から伝えられることがあります。

 

「もったいない」を、暮らしの工夫へ

 

食べ物への感謝は、言葉にするだけでなく、日々の行動にもつなげられます。

 

食べられる量を考えて買う。
保存の方法を工夫する。
残った食材を、次の料理に使う。

 

そうした小さな工夫も、食べ物と、それに関わった人々の仕事を大切にすることになります。

 

ただし、感謝することは、無理に食べることではありません。

体調やアレルギー、食べられる量には、一人ひとり違いがあります。大切なのは、できる範囲で、食べ物を無駄にしない方法を考えることだと思います。

 

「もったいない」を、暮らしの知恵として将来に渡していきたいですね。

 

食卓から受け継げるものがある

 

歴史や文明というと、大きな建物や、昔の人物を思い浮かべるかもしれません。

けれども、私たちが毎日使う言葉や、身近な習慣も、文化の一部です。

 

自然の恵みに感謝する。
食べ物を用意してくれた人に感謝する。
自分の暮らしが、多くの命と仕事に支えられていると知る。

 

私は、こうした感覚を、子どもたちへ手渡していきたいと思っています。

 

「いただきます」は、誰に向けた言葉なのでしょうか。

その答えを一つに決める前に、今日の食卓へつながる命や、人々の姿を思い浮かべてみる。

 

いつものご飯が、少し違って見えるかもしれません。

食事の前の、ほんのひと呼吸。
「いただきます」は、そのつながりに気づく時間をつくってくれる言葉なのだと思います。

 

さらに詳しく読みたい方へ

 

note「日本文明ノート」では、「いただきます」という言葉と、日本人の自然観・生命観について、さらに考えています。

 

▶ なぜ日本人は、食べる前に「いただきます」と言うのか――命を受け取る日本人の感覚

 

このブログでは、火曜日に歴史・文明、金曜日に経済について、身近なところから順に考えていきます。

 

参考資料

農林水産省「食べ物は、自然や生き物のめぐみ」

三内丸山遺跡縄文デジタルアーカイブ「有機質出土品」

米国カトリック司教協議会『成人のためのカトリック教理書』食前の祈り(英語)

教皇フランシスコ 回勅『ラウダート・シ』第227項(英語)