「踏ん張った先にあるもの」


 目の前を転がっていくサッカーボール。
 オレが取らなければ絶体絶命だったが、これは間に合わないな、と思ってすぐに追い駆けるのを諦めた。
 案の定、そのまま敵チームにゴールを決められてしまう。
「おい、咲麿~、今のは頑張れば間に合っただろ」
「わりぃわりぃ」
 友達に冗談交じりに責められる。オレは笑って誤魔化した。
 昼休みはいつもこうして、グラウンドでサッカーをしている。揃ったメンバーで半々に別れてミニゲームだ。
 昼休みのチャイムが鳴って、オレ達は慌てて教室に戻った。


 もうすぐ三学期が終わって、四月になれば六年生になる。
 小学校高学年ともなれば、授業の内容も少しずつ難しくなってきていて、最近じゃオレはテストで悪い点を取ることも少なくなかった。
「咲麿! あんた、またこんな点数取って! もっとちゃんと勉強しなさい!」
 母親はオレが見せないようにしていたはずのテスト用紙を手にして言った。
「わかったわかった」
 オレはうるさく言われるのを避ける為、とりあえず頷く。
 でもいざ勉強を始めても、いつもすぐにやる気を失くしてしまう。前はすぐに解けたけど、最近の問題はどれも理解に時間が掛かってしんどいから面倒だ。
 何だか最近、何をやっても上手くいかない。むしゃくしゃする。


 日曜日、オレは自分が住んでいる神戸市北区から、隣の市の三田市にある『ナックルキックボクシングジム』までやって来ていた。
 五歳の時から週に一度、このジムに通っている。今じゃすっかり慣れた場所だ。
 歴が長いと自然と出来ることや分かることも多く、ここでは偉そうに出来た。
 多少羽目を外していても怒られることはない。そんなぬるま湯な環境が心地良い。
「咲麿! 俺と一緒にミット打ちやろうぜ!」
「風翔か。まあいいぞ」
 一つ下の風翔はそんなオレを慕う奴の一人だった。このジムにいる時はオレの後ろを付いてきてばかりいた。
 お互いに軽いミット打ちを終えたところでオレは言う。
「はぁ、疲れた。休憩しよう」
「そっか、俺はもうちょっとだけ続けてみるよ!」
 風翔はそう言って他の奴のところに行った。前なら一緒に休憩していただろうに。
 それに、何だか前よりも動きが良くなった気がする。あいつと仲が良い敬磨と健心もそうだ。
 三人とも、活き活きとしている。悩みなんてないように見える。
 それが少し、気に入らない。
「咲麿くん、休憩かい? まだ元気そうだけど」
 いつの間にか先生が傍に来ていた。
「まだ元気な内に休んでおかないと、疲れたままやっても楽しくないじゃん」
「そうだね、無理はしちゃいけない。でも、諦めの良さに逃げてもいけないよ」
「別に逃げてなんて……」
「何かを諦めるっていうのは楽だし、簡単だ。確かに元気な時は楽しいと思う。だけど、踏ん張った先にある楽しさもあるんだよ。勉強も運動も、何だってそうなんだ。しんどい気持ちを乗り越えていかなくちゃいけない時がある」
 オレは何も言えなかった。先生に言われていることの自覚がある。最近は嫌なことや辛いことから目を背けてばかりだ。
 風翔達はとっくに先生が言うようなことを実践できているから、あんな風に活き活きとしているのかもしれない。
 すぐに答えは出せず、オレはその後も座り込んだままだった。


 翌週の昼休み、オレはいつものように小学校のグラウンドでサッカーをしていた。
 先週もあったように、目の前をボールが通り過ぎていく。
 全速力で追いかければ間に合うかもしれない。でも、それは間違いなく疲れる。
 もういいや、いつもみたいに諦めてしまおう。
 だけどそこで、この間の先生の言葉が脳裏をよぎった。
「っ……」
 オレは思わずボールを追いかけていた。どうしてかは自分でも良く分からない。
 苦しい。辛い。それでも何とかボールに追いついた。
 すぐに味方にパスを出し、そのままゴールを決めてくれる。友達は駆け寄ってきた。
「やるじゃないか、咲麿! 良く追いついたな!」
「ま、まあ、オレが本気出せばこんなもんよ」
「あんま調子に乗んな~」
 オレ達はいつも通りの軽口を叩いていた。
 だけど前とは少し、違うような気がする。胸が高鳴っている。
 先生が言っていたことの意味、少しだけ分かったような気がした。
 一歩、前に踏み出せたのかもしれない。