2024/06/19(水)、

今は亡き高峰秀子さんが「徹子の部屋」に出演された録画の一部です。

とは言え、「生誕100年の俳優たち」というタイトルの日の録画でした。

 

この時彼女は60歳だそうです。

ハキハキと話される方でした。

 

何気なく聴いていたところ耳に入ってきたのが、

「最近家を小さくした」

と、いう言葉だった。

徹子さんもそれを聞き逃さなかった。キョロキョロ

 

それが上記の写真に残るように、

50代になるまでは物が凄く欲しかったそうだ。

しかし、50代を迎えたら物がいらなくなった、欲しくなくなったそうだ。

 

私はそれに反応した。びっくり

ん?、それって私も同じだった!」と。

 

何故50代なんだろうと思った。えー

 

本当に、あの50代を迎えた日の気持ちの変化には自分でも驚いたのだ。

誕生日の瞬間に、もう物は要らない!と強く思ったのだ。

 

それ以来、これと言って家具とか洋服とかは買わないようになった。

家具などはそれまでに揃えているし、洋服も新しく着飾ろうという気持ちはなくなり、今までの物を取捨選択し、不要なものは捨てたい、といつも思うようになった。

不要な物で家の中を占拠するのが勿体なくなったのだ。

 

中々断捨離は進まないが、先日16日(日)息子たちとお墓参りの機会があって、その帰りに夫のもう着なくなったスーツを数着試して着れる物を選んで着てくれることになった。

私が、思い切って捨てようと思っていると言ったのがきっかけだった。

ついでに、Yシャツ類、ネクタイにも及んで引き取ってくれたのだ。

全て処分出来たわけではないが、大分スッキリとした。ニコニコ

 

話を戻して、

あれからは(50代を迎えてから)、家電を買い替えるか、家の修理箇所が発生するとどんどん修理依頼するか、取り換え工事にするかという事に専念してきた。

 

できれば、家そのものに対しても、もっと小さくていい日が来るかもしれないと思っている。

 

そんな思いで暮らしていたので、生きていらしたら100歳を迎えられていたという高峰秀子さんのハキハキしたお話に改めて好感を持ったのです。

 

私と同年代の頃、同じように考えていた人なのだと。ウインク

 

彼女の断捨離といっても、元々所持していたものの価値が違うものだったろうから

私の断捨離などとは違ってはいただろうが。

 

 

 追記1:

 

ジャスミン真理子さんのブログ、「夕べ見た映画」の中の「ちょっと休憩」の

コーナーに彼女と皇室、特に平成負債とのお付き合いを書かれた記事があります。

 

私は、この記事を元に過去記事として書きました。

2024/02/11の記事だと思います。

 

どうにも、その記事が(以下で表示)すんなり入って来ず、ましてや、

2020/10/07の時点でのコメント欄の方々がミテコの正体を知らないでいらした

ことが不安になりました。えー

 

ブルーサファイア様だけが応援のコメントを送って下さいました。

凄く大きな応援の力を感じた記事となって強烈な思い出として残っています。

 

 

興味があれば読んで頂きたい。

ジャスミン真理子さんの記事が元です。

 

ここに、表からは見えない、昭和の皇太子負債の生活の一部が垣間見れるのです。

 

 

 

一部引用します。


案内された一室の 簡素なティー・テーブルには
テーブル・クロスも 灰皿も無く
カーペットも薄く 壁には一枚の絵もなかったとか


そこへ、ごく普通に スーっと入ってこられた
グレーの背広にノーネクタイの 皇太子さまと


シンプルなワンピース姿の 美智子さま
アクセサリーは まったく付けておられなかったそうです


テーブルの上に 世界地図を広げて
各国の話から始まり、映画の製作の話やら・・


そのうちすっかり、リラックスされた皇太子さまは 
ユーモアのセンスが抜群で 

そのジョークに 美智子さまは屈託なく
「ワハハハ・・」と バンザイされながら笑い
そのときは、椅子に座った二本の足が 宙に浮いていたそうです

 

 

上記引用

 

 

というような、一時間の約束が2時間半になった高峰秀子さんとご主人、まだ皇太子時代の夫妻との不思議な夜の記述でした。

 

私は「生誕100年の俳優たち」で思いがけなく高峰さんを見ることになって、

「ああこの方が、こんな話し方で昭和の皇太子夫妻と不思議な時間を過ごしたのだナ」と思いつつ、こういうちょっと有名な方々を時々”夕食後に”お誘いして楽しむ方法を

結構作っていた昭和の皇太子夫妻だったのだと、複雑な気分になったのでした。

彼ら成婚二年目の話しでした。

 

こんな話はこうして書かれていないだけで、いろんな世界で活躍されていた方々は同じような経験をお持ちの方がいらっしゃるのではないかとの想像もしてしまった。

 

「アテクシ達が誘えば、誰でも喜んでやってきますよ、フフフ・・・。」

と、当時の皇太子妃(もどき)の声が聞こえてきそうに思えます。えー

 

 

追記2:

 

以下はブルーサファイア様宛に、書かれていた本のタイトルを返信した私の

コメントでした。

兎に角情報はまとめておかないと離れ離れになってしまうので引用します。

 

沢山の本を書かれていた高峰秀子さんの著書の中には相当沢山の当時の情報が詰まっているようです。

その上、「徹子の部屋」出演時のような率直なお話をされる方なので昭和の皇太子時代の社会の様子もふんだんに読み取れる資料ともなると思います。ニヤリ

 

  • >ブルーサファイアさん

    『にんげん住所録』

    ”美智子さまへのファンレター”という章があり、「20世紀の美女ベスト50」というテーマの誌上座談会があり、高峰さんは美智子さまを選んだことが書かれてます。また、ご成婚パレードの実況放送番組に徳川夢声氏と出演したこと、皇太子殿下と美智子妃(当時)が松山善三監督の「名もなく貧しく美しく」・「山河あり」・「泣きながら笑う日」・「典子は、今」をご覧になったこと、赤坂東宮御所に招かれた時のこと、軽井沢行きの列車の中で美智子さまからメモが届いたことなどが書かれています。

    上記追伸です。
    「にんげん住所録」が先の内容が書かれている本です。
    メモを個人的に渡す、は
    凄いですね!
    お付きの者から連絡などを飛び越えての技。
    いろいろありそうですね!

    kickbell

    2024-02-11 18:25:57