映画ブログを書かれているジャスミン真理子さんの記事を思い出しました。
『名もなく・・』は
1961(昭和36年)に 封切られた作品ですが
このとき、この2年前にご成婚された
当時の皇太子殿下と 美智子さま
他、皇族の方々が 劇場でご覧になったそうです。
で始まる文章です。
どうぞ、読んで頂きたい。
私はこの当時の皇太子夫妻と高峰夫妻の微笑ましい交流と捉えられている本の内容の中に
皇太子夫妻のかなり勝手な各分野の一般人との付き合い方の一端を知る思いが残ったのを
覚えています。
ただ、ジャスミン真理子さんの記事としては「懐かしの銀幕スター 高峰秀子」ですから
高峰さんが体験したことは彼女としては皇室、特に当時の皇太子夫妻に招かれての特別な
体験をそのまま受け止めて書かれていたのだろうと思う。
その当時、昭和の皇太子夫妻からと平成の時代を振り返れば、招待もないのにあれだけの奇天烈ファッション
を着まくって海外訪問をし、昭和天皇が愛した森を伐採して自分たちの住まい、皇居を、それこそ60億?かけて
しれっと作って、長男嫁と孫をいじめまくっていた60年の始まりの頃だったと思うと、見えない場所での
こうした個人的な、しかし、相手には慈悲のように見せながらの、かなり特権利用の会食はやっていたのだと
思っていた。
この高峰さんの本の内容を知って頂きたかったのですが、自分のブログながらなかなか引っ張りだせないでいた。
ところが他の記事を探していた最中に発見となったのです。
しかし、2020年の記事なので、🐴子の結婚問題でじわじわと、その婚約者の不正弁護士
製造にミテコが相当関与しているということが明らかになってきていた時期だった。
そんな時の上皇夫妻の成婚2年目の、一般人の中でも有名人を呼びつけての”夕食後”の
お楽しみはこの件だけではないだろうと想像してしまった。
警備の者たちを連れての好みの観劇、映画鑑賞、美術館訪問など、公務ではない私的お出かけの後の出演者などを直接赤坂に呼んでの、徹底的に興味を持った対象者との歓談までを楽しむ方法が見えたのです。
この時期、成婚(1959年昭和34年)2年目から既に平成夫妻がこんなことを繰り返して
いたのだと見えた思いだった。
この高峰さんの本の内容から想像するに、「徳ちゃん憲法」などと育児書もどきを作り世間に発表し、
公務と育児に励んでいる皇太子妃作りはしていたが、実際に授乳したり寝かしつけたり、本を読んであげる
などということは一切女官や専属の看護士に任せっきりで育児など全くせずに、高峰さんとの交流のような日々を過ごして
いたのではないかと思うのです。
成婚前の皇太子は親と暮らしたことがなかったことから子供たちは自分たちと一緒に暮らし、自分たちで育てると宣言した。
なんちゃって子育てですよ。
ミテコが産んだのは3人のうちどなたなのか?
DNA検査では明仁と徳仁までは明白だという。
文仁はA西からの子供、サーヤは女官の子だとか?
3人の母親なんて嘘っぱちで、今上陛下のみではないか?とも伝えられている。
もう、ただのパフォーマンスだとは思っていましたが、キッチンに立つ皇太子妃なんて写真やら何たらかんたらも遺っている。
カメラマンに命じて、女優の一端を撮らせていたんでしょう。
そうなんです、好みの有名人を呼んで、夜遅い時間でも料理担当者たちをこき使い、
「インスタントラーメン作って!」
「リンゴを剥いて!」
などと自分たち以外の人の迷惑など考えずに、見えない所でも好き放題やっていた偽皇族だったのでしょう。
勘違いも甚だしい。
皇室に入る、入内すると誰もNO!と言わない世界で過ごせる一生の権利を手にすることができると、そのまんまの生活をしてきた。
それが、ミテコとキコの発生の理です。
次世代も製作しちゃいましたが・・・・。
ボッタマのトンボのように奇種が増殖しましたが、未来に棲息場所はあるのでしょうか?
以上私の妄想ですが、高峰さんの内容は事実です。
記事が見つかってスッキリしました!
追記:
後で気付いたのですが、2020年の記事なのですが、当時KKM問題にミテコが関わっていると解ってきたのに、コメント欄はミテコが気さくな人の様にほめられていました。
時間の経過があるので当時と今では裏ではまだいじめは始まっていなかったが、2020年のコメントとしては前天皇夫妻の行状に関心がないか、知らないかの方々かなと、SNSを使っている方々でもミテコに対しての見方にはこんなにも差があることに驚きました。