鹿児島の知覧にある「富屋食堂」



現在は資料館となっているが、、



昭和初期は軍指定の食堂として知覧振武隊所属の特別攻撃隊の隊員達で賑わっていた。



富屋食堂の女将さんの名を「鳥濱トメ」という。



トメさんの営む富屋食堂へ来る特攻隊員は、明日に散り行くかもしれない若い命なのです。


この子達へどう接していくべきか、、


トメさんは悩んだ末に私財を投げ売って資金を作り、営業時間外であったとしても、彼らへは最後の思い出にと飲食で持て成す事にした。


時間外営業が風紀を乱すという事で、憲兵からはしこたまヤキを入れられたりもしたそうですが、、


それでもトメさんの特攻隊員に対する気持ちは折れなかった。



我が子と対して変わらぬ様な子達がお国の為に明日は散り行くかもしれぬというのに、、


あの子達へ最後の安らぎを与えることの一体何が罪なのだろうか。


後にトメさんは特別攻撃隊員の皆から「おかあさん」と呼ばれ、慕われることになるのだが、、



特攻隊員へ対するトメさんの強い思いは戦後なお続き、その灯火は絶えることなく次世代へと語り継がれ今に至る。


そしてこの日、、


俺は富屋食堂の駐車場へレンタカーを停め、徒歩で2〜3分も歩いただろうか、、


遂に富屋食堂へ到着しました。



かつてはこの食堂の裏手へ小川が流れていたらしいが今は見当たらない。



今から81年前、特攻前夜にこちらの富屋食堂へ訪れた宮川三郎少尉(享年20歳)は「敵艦をやっつけたら帰って来るから、帰った時は、宮川、帰って来たかと喜んでください。」と、トメさんへ別れの挨拶をした。


トメさんは「どんなにして帰ってくるの?」と宮川少尉に訊いたら宮川少尉は「ホタルになって帰ってくる」と、、そう応えたそうです。


果たせるかな、、約束の時間になると富屋食堂裏の小川から大きなホタルがやってきて白い花へ止まったそうです。本当に大きなホタルだったそうです。


トメさんはハッと気付いて皆へ叫んだ。


「このホタルは宮川サブちゃんですよ!」


特攻で散った宮川少尉は大きなホタルになって約束通り富屋食堂へ帰って来たのだ。


富屋食堂の裏から出て来た振武隊の皆が口々に言った「やぁ、おかあさん、このホタルは宮川かね。」


トメは頷き、皆で「同期の桜」を歌い、ホタルとなって帰ってきた宮川少尉を迎えた。




トメさんは云いう。


「特攻隊の方々が征かれるときはにっこり笑って、嫌とも言わず、涙一つ落とされませんでした。


さぞ肉親の方へ会いたかっただろうに、日本を勝たせるために早く征かねばと、、ただそれだけを言ってました。」



資料館となった富屋食堂の中へお邪魔致した俺は、数々の資料へ細かく目を通した。


狭い食堂の中はきっちりと整理されて、その中央にはトメさんが祀られていました。


BGMには「アリラン」が流れています。


なんて哀愁の漂う旋律なんだろう。



この「アリラン」という歌は日本のために散華された韓国出身の光山文博少尉が明日発つという日の夜に富屋食堂で歌ったものである。


光山少尉は帽子の日差しを深々と被り歌ったそうです。


トメさんとトメさんの娘さん達も一緒にアリランを歌っている内に皆で泣いてたという。





勝又勝雄少尉という隊員の方はとてもお酒が好きだったそうです。


彼はトメさんに言いました。


「おかあさん、僕たちは年齢をほんの僅かしかもらえないから、残りはおかあさんへ全部あげるよ。だから、身体を大事に長生きしてください。」



トメさんも涙無しには語れぬ史実だと思うがこんな話を富屋食堂で目にしたもんだから俺は人目もはばからずその場で泣き崩れてしまった。



戦争は、絶対に無いほうが良いに決まってる。


しかし、時代背景はそれを許さぬ時もある。


特別攻撃隊員達が残してくれたものを、、

今一度、改めて良く考えてみたい。


写真は「開聞岳」

知覧から発つ特別攻撃隊員達は日本国の見納めにこちらの開聞岳を観ながら征くのだそうです。


つづく。