戸沢氏の出自
新庄市史 第一巻より
『戸沢家譜』によると、戸沢氏は平氏の出で、始祖平衡盛は大和国(奈良県)尾輪村に生まれ
はじめ尾輪氏と称したが、鎌倉時代の建久5年(1194)頼朝から岩手郡滴石の戸沢を与えられ
滴石に入部して戸沢氏を称した
二代兼盛のとき、建保6年(1218)滴石から仙北郡門屋に移り、安貞2年(1228)門屋城を築いたという
戸沢氏は以後12代まで門屋城を本拠にした
やがて室町時代の応永30年(1423)7月13代家盛が仙北郡角館に移ったとしている
これに対して
嶺金太郎『戸沢氏発祥地考』は戸沢氏は仙北郡檜木内の戸沢村からおこった小土豪であり
戸沢・小山田・角館と、檜木内川に沿って南下し、角館城を本拠にしてしだいに勢力を伸ばし、
戦国大名に発展していったとされる
『秋田県史』によれば、戸沢氏は桓武平氏の末流でその始祖衡盛が鎌倉時代に常陸国から
陸奥郡滴石の戸沢(雫石町戸沢)に移住して戸沢氏を称したとしている
『岩手県史』によれば、衡盛は滴石氏の始祖であり、
鎌倉時代初期、岩手郡滴石に移住したと信じるほかないとしている
滴石氏は岩手郡と出羽仙北郡の両方に所領をもったとしている
『新庄市史』では、これらの説を踏まえて以下のように述べている
新庄藩主戸沢氏の始祖は
滴石に移住した衡盛であるとみてよい
応永30年(1423)滴石戸沢氏が角館に移り仙北郡戸沢氏と合流したと考えられる
そして、最後まで滴石城に残った戸沢氏の一族も
天文9年(1540)三戸南部氏に攻略され角館に移った
その結果滴石・仙北両戸沢氏は完全に一体となり、角館を本拠にして
大きな勢力に発展していったと推測される
秋田、山形だけでなく
岩手にも関連があるということでより詳しく調べる必要がある