日本史的覚書 -3ページ目

日本史的覚書

史跡をめぐるのが趣味な奴が更新します 


ハマった。



トマトジュース。



夏休みに帰省した折

母がマグカップにトマトジュースを注いで氷を入れて飲んでいた

なんだか美味しそうだった


筆者はトマトジュースが苦手だった

後味が嫌だった


だが、しかし


キンキンに冷やして飲んでみると、

驚くほどのど越しが良い


小さいときに感じ得なかった

野菜の味というかコクを感じた



トマトジュース、美味い。



暫くご無沙汰であったが、

無性に飲みたくなって昨日購入してしまった



飲み始めると止まらない

酒以外の飲料でこんなにのめり込んだのは久々かもしれない←



なかでもお気に入りは伊藤園の「熟トマト」

食塩不使用 

トマト本来の味がする


今まで「どろっ」とした舌触りが嫌で、

伊藤園の野菜ジュースは避けていたが、これからは飲める



美味しい!

トマトジュース!!!(わかったよ











小春日和



ゼミお外で芋煮

山形にいる間に経験できてよかった



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味付けは村山風

しかし県民曰く「砂糖が足りない」とのこと


でも、これはこれで美味しかった

外で食べるのは格別




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シメのうどんもつるっといただけた




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これはゼミの先生からいただいたもので、新潟のお菓子


お米で出来ているのです



そういや今日、米粉ドーナツを頂きました


やっぱ米は美味い

どんな形に加工されても


酒もうまいしね←


またみんなと何かしたい



今日は、5年ほど前から文通をしているご夫妻から

福島を案内していただいた



なんと初対面

想像通りの仲むつまじいお二人であった



最初に向かったのが

福島県最大規模を誇る会津大塚山古墳



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【会津大塚山古墳】


全長114メートル

調査の結果、主軸に直交する南北二基の割竹木棺痕跡のなかから

鏡・玉類、武器、武具、工具など多くの副葬品が出土した

会津大塚山古墳の発掘調査以降
東北にも多くの前期古墳の存在が認識されるようになったという


この古墳の被葬者は会津地方を治めた首長と考えられ

その副葬品から当時すでに、畿内の大和政権と

密接な関わりをもっていたことが推定されている



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後円部の標高が前方部より高い ↑


後円部から前方部をのぞむ



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前方部から後円部をのぞむ

鍵穴の形が見える…ような気がする ↑





お昼に頂いたのが会津名物ソースカツ丼


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城前ハトヤ食堂さんのソースカツ丼

結構なボリュームがあるかと思いきや、

ソースが思ったよりしつこくなく、筆者好みの味だった


筆者は普段カツレツ類にソースをかけない人間だが

カツレツにソースも悪くないな と思った今日この頃←



【会津若松城(鶴ヶ城)】


会津蘆名氏が築城した黒川城を戦国末期になって蒲生氏郷が大改修した

江戸時代は会津松平氏の居城になった

戊辰戦争時、白虎隊の悲劇でも有名


藩主の変遷

蘆名→伊達→蒲生→上杉→蒲生→加藤→保科→松平


天守閣の屋根瓦は赤瓦に葺き替えられていた



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五層目から眺めるとその色がよく分かる

・・・確かに、赤い



城郭において赤瓦の使用例はみられるが現存するものとしては唯一の建造物だそうだ


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こんな大きなお堀、石垣を見たことがない、と筆者は

思わず驚嘆の声を漏らす



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【茶室麟閣】


千利休の子・少庵が会津に匿われていたときに

蒲生氏郷のために造ったと伝えられている




その後、福島県立博物館に行った


常設展のジオラマの迫力と言ったら…もう

特に古代の複元模型が精巧


竪穴住居、

人骨の出土状況


生々しい位にリアルで感激してしまった

それから会津大塚山古墳の副葬品の出土状況の写真や

三角縁神獣鏡…!


古墳時代前期に造営された証拠の品と言っても過言でない



生で見られるとは思わなかった


そして、石棒の大きさが…

筆者の胸のあたりまでの長さ…馬以上


 

とにかく、古墳時代にかけてのスケールの大きさは筆者の想像を

はるかにしのぐものであった









晩御飯は、なんと…




米沢牛すきやき!!!



((((((ノ゚⊿゚)ノ


「米沢牛のすきやき奢ること それが大人としての務めかと」

と仰っていた旦那さん



冗談だろうと半信半疑だったが

米沢の有名店へ…




「特上三人前で」




ひゃあああああああああ!!!


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霜降りが…

いつも食べている肉と違ってきめ細やか

つやつやしている…



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じゅわああああああ



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とろ~ん



///


極上の味

「肉の脂が甘い」とはこのことかと再認識



素晴らしい



筆者が自立した大人になれる日が来るのであろうか

もう20年しないと無理だなと正直思った



最後に地酒と古墳の本を頂いてしまって

いろいろとお世話になりっぱなし



ご夫妻、ご多忙の中ありがとうでした!

ごちそうさまです!













鎖国について思ったより反響が大きかったので引用させて頂きます


>近代的な外交を全くしてなかったって見方をすれば鎖国かななんて思ったりする


― 確かに、近代的な外交をしていたのかと言われると印象としては薄いかもしれません

元々キリスト教を厳重に取り締まるために政策がとられたので

当初は排外というより禁教に重きを置いていたのではないでしょうか





1825年に異国船打払令が出され、

それまで交易があったオランダ船に関しても

身元が分からなくても打ち払え、という内容が記されていて

どことなく強気な姿勢が読みとれます


伊達さんの指摘通り近代的な外交をしていなかったために

生まれたものだと考えて良いでしょう


ですが、打払令が出る前

1804年に来航したレザーノフへの対応において

中国、朝鮮、オランダ、琉球を通信商の国として提示しています


したがって禁教政策がとられた当初から

他国との国交がなかった訳ではないと考えたいものです



うまくコメントできなくて申し訳ないです



欧州の王族や貴族は、国境を超えて人種の異なる相手と政略結婚をしていたはずですよね。

中国大陸では、皇帝と后の人種が異なることもあっただろうし、


私は、宣教師が日本に来たときに、スペインやポルトガルの王や

最上川の流域と古墳とムラ


芸工大の北野博司先生の講演会を聴きにゼミの先生と

うきたむ風土記の丘考古資料館へ



先人が自然をどう扱ってきたのか

古墳を作る技術も自然があってこそであるという

北野先生のお話は新鮮だった


古墳時代は寒冷期で

一般に寒冷期には民族移動が起こるということから

農村集落は流動的で簡単に人が移動しているのだという

古墳時代の集落は長くて3代、短くて1代で終わるようで

集落跡もなかなか見つかっていない


また、水田を営むのが困難になり、狩猟が中心となるそうである

古墳時代に生きた人々は環境に適応しようと

衣食住を工夫していたようだ


食い意地が張っていたためか筆者は

「食」の話に食いついた


米の食べ方1つとっても面白い

他の時代は米を「煮る」食べ方をしているのに対し

古墳時代は米を「蒸す」食べ方をしていたそうである

土器の使用痕を見る限り少なく、鍋の形も変化をしていたのが根拠


やはり発掘調査をあなどってはならない

というより発掘後の調査で使用痕まで分かるとは…

改めて古代史研究の魅力を感じた


最後に北野先生は

古墳時代は1つに括られるものでない

古墳に葬られた首長の儀礼 政治 宗教が階層文化を表し

3~6世紀に一定の共通性が見られたために「古墳時代」と言われているにすぎない

と仰っていた


秋田県はまさに一般に言われるところの

「古墳時代」の特色が感じられないのが特色だと筆者は思う


日本史の教科書ではなかなか取り上げられないネタである


秋田県とうって変わって山形県は

続縄文文化、古墳文化両方の性格をもつ文化がある


羨ましい(心の声)


境界は「線」でなく「面」で捉えた方がよいというお話だったので

認識が180度変わった



講演会に誘ってくださったゼミの先生に感謝である