日本史的覚書 -27ページ目

日本史的覚書

史跡をめぐるのが趣味な奴が更新します 

メジャーな人物は取り上げないとは言ったがなんとなく書きたくなったので

巷で人気の伊達政宗について書こうと思う

ただ、全部は書けないので

史学実習で扱った摺上原の戦いまでに留める



伊達政宗(1567-1636)


本姓は藤原氏 第16代当主伊達輝宗と最上義守の娘・義姫(最上義光の妹)の嫡男

幼名は梵天丸 名は藤次郎


幼少時に患った疱瘡により右目を失明し隻眼となったことから、

後世には「独眼竜」と称されている


天正5年、元服

天正7年、三春城主田村清顕の娘愛姫を正室とする

天正9年隣接する戦国大名・相馬氏への侵攻に15歳で初陣し、勝利を収める

天正12年、18歳で家督を相続し、伊達家17代を継承する



小手森城主・大内定綱は二本松城主二本松義継と手を組み、田村氏の支配から脱却し、

政宗に対抗しようとした


天正13年、政宗は小手森城へ兵を進める

討伐の際は、降伏を認めないなどの徹底した小手森城の撫で切りを行い、非道な一面を見せた。


豪族が殆ど親戚・縁戚同士という奥州では皆殺し戦術は前代未聞の大事件であり、

近隣の戦国大名を恐怖に陥れた。これは、近隣諸国への見せしめである。


19歳の政宗は、この戦功を伯父である最上義光に宛てた

その文書は最上義光歴史館で見ることができる


しかし、一方で政宗は後年、戦略的見地から定綱を家臣の列に加えている


大内定綱の没落を間近で見た二本松義継は和議を申し出、

輝宗の取りなしにより5ヶ村のみを畠山領として安堵することになった


ところが輝宗が、所領安堵の件などの礼に来ていた義継を城門まで見送りに行った所を拉致される


政宗は事件の時、狩りに出かけていたが急遽戻って一行を追跡し、

輝宗もろとも鉄砲を放って一人も残さず殺害したという


この事件は、輝宗が自分とともに義継を撃てと命じたとの説や

追跡してきた政宗の軍勢がすでに鉄砲で武装していたことから、

政宗の父殺しの陰謀だったとする説など発生原因も含めて諸説ある


その後、初七日法要を済ますと輝宗の弔い合戦のため早くも二本松城を包囲し、

二本松氏救出のため集結した、

佐竹・蘆名氏など3万の反伊達連合軍と安達郡人取橋で死闘を演じた


数の上で5分の1以下の戦力であった伊達軍は重臣・鬼庭義直を殿軍として辛くも持ち堪え

反伊達連合軍の撤退により政宗は窮地を脱した(人取橋の戦い

政宗は更なる侵攻を行い、天正16年に郡山合戦にて相手国の領土を奪う

正妻・愛姫の実家・田村氏の協力を得て、現在の福島中通り中部にあたる地域まで支配下に置く



天正17年には東北地方の覇権を賭けて会津の蘆名義広・佐竹義宣の連合軍と戦う

この戦いを摺上原の戦いという

実は、この戦いの前に政宗は相馬氏を攻め二つ城を落としている

このことは、なかなか知られていないらしい



蘆名氏はすでに関白、秀吉傘下の大名となっており、

政宗が蘆名氏と戦うことは秀吉への挑戦を意味していた


蘆名義広は1万5000の兵を率い、政宗も2万1000を率いて磐梯山の中腹に陣を敷いた

この戦いで伊達軍は騎馬武者300騎、兵2000余りを討ち取ったという


黒川城を陥落させ蘆名氏を滅ぼし会津地方を支配した

さらに兵を須賀川へ進め二階堂氏を滅ぼした


この戦いと前後して、白河義親、石川昭光、岩城常隆が次々と政宗に服属した


このとき政宗は現在の福島県の中通り地方と会津地方、

及び山形県の南部、宮城県の南部を領し全国的にも屈指の領国規模を築いた


これに加え上述の白河氏といった南陸奥の諸豪族や、

また今の宮城県や岩手県の一部を支配していた大崎氏・葛西氏も政宗の勢力下にあった




このように政宗直属軍は非常に動きが俊敏だということが分かる

やはり、政宗は武勇あふれるゆえに

圧倒的な支持を得るのだろうか(それだけではないのだが)



参考文献 ウィキぺディア




日本史的覚書


↑7月に歴検受けに行ったときに撮った写真

【回想録】


今日は、大の甘党と噂される日本近代史の先生の授業について

でかでかと取り上げたいと思う


授業の前に先生は


「口内炎ができてですね、滑舌悪くて聞きとりにくいかもしれません」


仰っていたが



寧ろいつもより流暢だった…気がする





テーマは「軍制改革の意義」


よく高校では、藩政改革が挙げられる

その藩というのが雄藩といわれる薩長土肥である


これら雄藩が藩政改革を行い、力をつけ、幕府を倒すに至ったとか

幕府は何もできないまま終わったかのように

語られることが多いが、


実は、幕府も軍制改革に取り組んでいた


幕府は番方組織を編成し、当初は旗本を中心に任務につかせた


長期養成型の改革だったため、短期養成傾向の雄藩に追いつけなかった、

というのが実情である


旗本八万騎と称していたが、

実際は旗本5200、御家人17000…


八万には到底及ばない数字である


主従図には

馬の口取、侍、小荷駄、槍持、甲冑持が馬に乗った主人を取り囲んでいる

様子が描かれており、主人と侍以外は




ほぼ戦力外



ということが判明した



甲冑持に至っては、



「ランドセルを背負っているかのようだ」と言われる始末




後に、農民が農兵として帯刀を許されるようになり

兵農分離体制が崩れたといえる



3時限目は日本女性史


今日は工女について

富岡製糸工場で働いた工女達の労働時間や待遇はそれほど劣悪ではなかった


『女工哀史』に描かれたような

工女達は16時間労働を強いられていたようである


日本初のストライキは工女が起こしたものだそうで

労働時間の短縮、労働環境の改善を訴え、完全勝利



今日も女性の凄さというものを感じた










【回想録】


今日は日本史DAY


1時限目 歴史考古学


前回同様奥州藤原氏

特に中尊寺・毛越寺・無量光院の伽藍だとか様式について学んだ


「供養願文」を読むと

寺の設計やら本尊が分かる


それで議論になったという話もあった


そういう歴史研究家は、なかなか死なない、という話も先生から伺った

先生曰く、歴史研究家は60歳を超えれば死なない、という


今日、話題になった歴史研究家も103歳という天寿を全うされているようで…

寿命は無限大らしいww←


「これがね、なかなか死なないのよww」


これ以上はブラックな雰囲気を醸すことになるので

話を中断させる




ぷつ



続きまして

2時限目 講読  『続日本紀』

相変わらず漢字の多い本文を読み、現代語訳


天皇の奥さんは一般に「皇后」と言われているが、

当時は皇族に限られていたそうである


皇族とは別に奥さんを娶る際、「夫人・妃・嬪」という身分がつく 

なんと律令で定められているというから、驚き

いわゆる国家公務員的ポジション


今日取り上げた文の内容は比較的単調で

○○朝臣□□がこのくらい報酬もらった、とか位が上がった、

という文が延々と続いた


今は正直つまらないが


これから面白くなることを祈るばかりである



3時限目

古文書学


「蛍」「蝶々」といった童謡をはじめ、

くずし字を解読していった 解読できないとき先生や友人の力を借りて読む


手間はかかるが読めると楽しい



平仮名の「に」の変体がなが多くて困る

ミミズにしか見えない


しかし、これは慣れるしか道はなさそうなので


課題に愚直に取り組むしかない



4時限目

史学実習


今日は、外部から講師の方を招いて伊達政宗の古文書に触れた


政宗本人が書いたものではないが

天正期の政宗のことを書いた「伊達天正日記」を読んだ



詳しいことはあとで書くとする


講義では

「伊達天正日記」に基づき、天正17年の政宗を取り上げた


この年というのは、政宗23歳

米沢から会津に攻めた年で、一番領地が広がった年でもあった


政宗好きの方、読んでいなければ

この日記を是非一読していただきたい!



某英語を喋る奥州筆頭の日記ではないので



史実と虚構をごっちゃにしてはいけませんよww











【回想録】


1時限目は講読


この時間は「旅行用心中」について


毎回、輪読という形をとるのだが、他人が当たったところは読めそうなのに

自分が当たったところ意外と読めなくて大苦戦


おまけに旧字体なんかも出るから

いやになっちゃうね←



「川崎」当時は「河崎」という表記だし



「保土ヶ谷」…唯一読めなかった…

旧字でよく見えなかったが「程谷」と書かれていた


現在でいう 東海道本線、横須賀線等に反映されている



日本橋―品川―河崎(川崎)―かな川(神奈川)―程谷(保土ヶ谷)

戸塚―藤沢―平塚―大磯―小田原―箱根―三島―沼津―原 


といった具合か



2時限目 日本文化史

そもそも歴史とは何か、というのをひたすら学んだ


E・H・カー曰く

歴史とは「現在と過去の間に尽きることを知らぬ対話」だそうだ


現在=歴史家

過去=事実


分かりやすくいえば

歴史家の史観と残された史料などといった事実からなるものが歴史

…だと思う



この先どういう展開で授業が進むか楽しみである



3時限目は 英語


勉強不足を痛感した

高校生英語はおろか、中学生英語すらも、ままならない


…訳の方


語彙がない

英語の語彙力がない


それ以前に日本語が壊滅的  日本語の語彙力がほしい



今日も先生が脱線


見事な脱線



その脱線の流れ


「ニュートンのような人」という文→ニュートンって誰?→ああ、重力発見した人ね


→なんで重力発見したんだっけ?→ああ、リンゴね→ところで、落ちたリンゴ何色?


→赤?…実は緑なんだ→イギリスの人って「リンゴ=緑色」と捉える事が多いんだ


→国によって固定観念って違うよね→太陽って何色で描く?→赤?欧米は黄色だよ


→なんで日本って太陽を赤く描くのかな→(学生の一人が)日の丸が赤だから、と答えた


→ああ、確かに(妙に納得)→ねえ!雪だるま描いてみて!→ほら!日本人!日本人!



要は…

雪だるま描く時日本人は普通は下に少々大きめの円描いて上に小さめの円描くのに対して

欧米は、3つ円を描いてマフラーを巻いたり、人参の鼻を表現したりするなど技巧を凝らす


英語で雪だるまはsnow man

そう、人間の姿を忠実に再現しようとしているのだ



日本は完全なる達磨!!


ゆえに似て非なるものなのだ




…なんなんだ?この結論はwww


あと、複数のものにsをつけるか否かで大分文が変わる例


I like fish.


これは問題ない



I like dog.



これだと「私は犬肉が好きです」という

恐ろしい文になってしまうのでsをつけましょう 猫も然り


I like dogs.


これでOK

















 







今日、大学の学科で史学委員の仕事をし終えた友達からミルクケーキを貰った


ミルクケーキ


山形の方は勿論知っていて当然であろう


所謂、ショートケーキのようなケーキではなくて

加糖練乳にカルシウムを加えて棒状にしたお菓子のこと



スーパーでもよく売られているのを目にする




ミルクケーキを見るたびに思う




「なぜケーキというのだろうか…?」



謎である 


ウィキで調べようと思ったが、書いていないのである


高畠の方に聞けばよいのだろうか… 



ミルクケーキを検索したらミルクケーキが電子レンジで作れる、というレシピを発見

コンデンスミルクとスキムミルクがあれば作れるらしい



早速、これはバレンタインなんかで使えそうな気がするww←


チョコレート味のミルクケーキもあるしね