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日本史的覚書

史跡をめぐるのが趣味な奴が更新します 

【山下公園】


関東大震災復興事業の一環として開園

横浜の観光の定番

園内には『赤い靴はいてた女の子像』のモニュメントなどがある


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氷川丸


日本郵船が1930年に竣工させた

12,000t級貨客船

現在は博物館船として公開されている


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インド水塔


関東大震災の際に横浜市がインド商人をはじめとする

外国人商人の救済措置を積極的に講じた返礼として

インド商組合から寄贈されたもの



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神奈川運上所跡


開港に伴い、関税と外交事務を扱う神奈川運上所が設けられ

神奈川奉行の支配に属していた


慶応2年類焼、翌年新築、横浜役所と称す

明治元年明治政府に移管され同5年横浜税関に改められた



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神奈川県庁



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横浜開港資料館



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明治10年代に築造されたレンガ造りのマンホールと下水管

(国登録有形文化財)


当時のままの状態で残されている


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日米和親条約締結の地


安政元年2月~3月にかけて日米代表が横浜村の

海岸で会見、和親条約を締結した

神奈川条約ともいわれ、日本の開国を促した



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英一番館跡


安政6年横浜開港に伴い来航した

イギリス人ウイリアム・ケズウイックは

居留地一番館において貿易をはじめた

この建物は、ジャーディン・マセソン商会と称す

当時の人々が「英一番館」と呼んでいたのはここ

今日は1日学校にいた


1日といっても9時からだが

図書館に入ると


なんと、記念すべき一人目!

どの学科もいない!



うっしゃー!



その勢いに乗って

土岐麻子さんの曲を聴きながら英語をやる

日本史(ほぼ古代)でリラックス



隣町の高校の先生が英語を教えに来てくださった


講座に参加したが、これがわかりやすい!

自分が高校生だったときは、あんなにわかりやすくなかった!


何がわかりやすいのかといえば

長文の英文全体をデパートに置き換えて考え

1つ1つのパラグラフをそれぞれのフロアに見立てたところだ


はじめは抽象的、間に具体的な説明を挟み、最後に抽象的な文構成に

なることが多い、という説明が大いに役に立った


まるでサンドイッチの様

抽象的=パン 具体的=具

どちらが大事かといえばパンにあたる最初と最後の部分であろう


パンがなければサンドイッチができないのと同じで

最初と最後が大事になってくる


ごく当たり前のことのように思われるかもしれないが

とても新鮮に感じられた











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念願の中華街!


1859年、横浜が開港する外国人居留地が造成され、

欧米人とともに多数の中国人買弁(中国人商人や取引仲介者)や外国人外交官の雇い人が来住

当初、彼らは香港や広東から来ていたため、広東省出身者が多かった


その後、横浜と上海、香港間に定期船航路が開設されると、中国人貿易商も来住し、

居留地の一角(現在の山下町)に関帝廟、中華会館、中華学校などを建てていった

これが横浜中華街の原型となった


(ウィキペディアより)



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京華楼さんで昼食を食べた

本格的な四川料理を味わえるお店で

戦場カメラマンの渡部陽一さんのサインがあった


予備知識無いまま店に入ったが

ウチくるで来ていたようだ


刀削麺(とうしょうめん)を食べた

今回食べたスープ、田舎のおふくろの味を彷彿させた


東北人の舌に合う


福島県桑折町で食べただんご汁に近い味がした

刀削麺の食感がなんともいえない

岩手県のひっつみ汁にも似ていた



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朝陽門


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パシフィコ横浜

「国立大ホール」は、横浜国立大学のホールと勘違いされたことがあるとか

以前オバマさんも来てましたね



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臨海パーク



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波が高かった


前日の雨で芝生には水たまりが(ほとんど池みたいになっていた)

鳩が群がっていた



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リマちゃん


和服を着た子を見ると反射的にカメラを構えてしまう←